人生で一番大切なもの


 「人生で一番大切なものは何か」


 これはなんとも壮大な問いです。

 同時に、心理療法をやっているとしばしば出会う問いでもあります。


 問い/問題には、明快な解法と客観的に正しい答えが決まっている「良定義問題」と、正しい答えが一つに定まらない「不良定義問題」がありますが、その不良定義問題の代表みたいな問題だと思います。そして、われわれが生きていくときにぶつかる大事な問いは不良定義問題ばかりです。やれやれ。




 河合隼雄先生が心理療法について指摘されたことで大変納得したことの一つに、不良定義問題への態度というものがあります。

   河合先生は(たとえば「人生で何が大切か」とクライエントから問われた時)愛が大切というなら、愛について自分がどのように考えているか、自分がそれをどの程度実行できるかということを抜きに言っては仕方がない。そのような自分から切り離された答えはほとんど役に立たない。むしろ、愛について問われたとき、自分が愛についてどう考え、どう実行しているかということが、決定的に重要なのだ」と(おおむねそういうことだったと思います(苦笑))。


 これは、心理療法が客観的な正解を与えるものではない、すなわちそれを行っている<自分>という問題がどうしても入ってきてしまう営みであることの一つの特徴でありましょう。より具体的には、「私はこう考えている」という中で「あなたはそう考えている」というお話を聞き、カウンセラーの中で葛藤が起こっている状態を堪えているということが、大変不思議なことに、治療的なのです。

   話を聴くとは、そういうことでしょう。


 一番マズいのは、不良定義問題に対する自分の考えを、「客観的な正解」のように他の人にも当てはめようとする態度です。そのようなものは心理療法・カウンセリングとは言えません。



 

   だから、私も考えておきます。


 さて、人生で何が一番大切か。


 これは不良定義問題ですから、答えは一つに定まらず、各々の考え方によるでしょう。

  「愛が大切だ」と言う人がいれば、「お金」であったり、「地位とか名誉」みたいなものであったり、「健康」であったり、「家族」であったり、「親友」や「趣味」と答える人もいるでしょう。


 私は、この問いにはわりとはっきり答えがありまして、「人生で一番大切なものは」と聞かれれば、「思い出」と答えます。


 「人生で一番大切なものは」という問いを、私は「何はなくともこれさえあれば生きていけるもの」と読み替えます。

 であれば、私の場合は「思い出」ということになります。


 目が見えなくなって、体が動かなくなって、お金もなくなって、一人になっても、思い出があれば、自分の内側の世界に入り込んで生きていける。そのような気がするためです(もちろんそんなに簡単ではないでしょうがー)。


   (余談ですが、そういった意味で、 村上春樹氏の『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』は、古い記憶の世界に閉じこもっていく物語であり、私は大好きです。)




 例えば、小さな子どもを育てている親であれば、わが子との生活の一場面一場面は、今お腹いっぱい思い出を作っているような気持ちでいるのではないかと想像します。

 そして、上手いこと出来ているもので、その子どもが大きくなって憎まれ口を叩くようになっても、その時の思い出で一生食べていける(笑)。


    だから、僕は思い出を作るために生きているようなところがあります。

    今やっていることは、あとあと自分を内側から温めてくれる思い出を作っているのだと。

    子どもと遊ぶのも、友だちと飲みに行くのも、今その時を生きているというよりも、大事な思い出を作っているんじゃないかと感じることがあります。


   全然前向きに生きていないんですね。

   むしろ後ろ向きに生きている。


 でも、そんなものは人それぞれなので、なんと言われようと気にしないようにしています(苦笑)。


Ueda Lab (心理療法研究室)

とある大学で心理療法の研究と教育をしています。

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