忘れられない光景(1)

 ごく普通の日常のささいな出来事、わずかな瞬間なのだけれども、忘れられない光景というものがあります。


 今思い出しているのは、初詣での出来事です。と言っても、今年のではなく、去年の初詣のことなのですが、新年の始めということでよみがえったことです。


 正月は妻の実家の島根県で過ごすこともあるのですが、ごく小さな地方都市ですので、正月とは言えにぎやかさとは程遠く、人通りもまばらで、静寂な、あるいはちょっと寂しい(苦笑)雰囲気があります。

 それはそれとしてよいものです。


 家のすぐ近くの裏山の頂上に氏神様があり、初詣はそこにお参りすることが通例になっています。

 その年も、子どもを連れて行きました。



 小さいけれど山ですので、ぼちぼちと登っていきます。近所の人もすでに大勢訪れていました。


 そのとき、普段は上まで車で入って来ることはほとんどない場所なのですが、1台の車が上ってきました。


 運転席からかなり年配の男性が下りてきました。私は「ああ、車でお参りに来たのだな」と思いました。すると、その男性(おじいちゃんと言ってもよいでしょう)は、車の後部座席のドアを開けて、自分より一回り以上大きな成人男性を引っ張り出してきて、ゆっくりとおんぶしたのです!


 その成人男性は、身体に重い障がいを抱えているようでした。おじいちゃんは、その男性を(おそらく息子さんでしょう)をおんぶして、神社の拝殿前まで連れて行ったのです。


 そのおじいちゃんの顔は笑顔であったように記憶しています。





 光景はそれだけです。

 

 その後ずっと見ていたとか、何か話しかけたとか、ごあいさつしたということもありません。

 ただ非常に鮮明に目に焼き付きました。



 おそらく地元の方で、ごく自然なこととして、家族で初詣に来られたのでしょう。そして、一回りも大きな成人となった息子さんをおんぶすることも、その老齢の男性にとってはごく日常の事だったのでしょう。






 私は、上手く言えませんが、「自分も、ああなりたい」と感じたのだと思います。


 障がいを抱える子どもをもつ身として、自分が仕事もなくなり老齢になっても、子どもの役に立てることがあったらどんなに幸せなことだろうと。

(普通は、自分が高齢になれば、大きくなった子どもにおんぶしてもらうようになるのかもしれませんがー)それでも私は子どもをおんぶしたい、そのように思うのです。


 私の娘は障がいをかかえていますが、体はずいぶんと丈夫になってきたので、おんぶということはないかもしれません。それでも、一つの<象徴的なイメージ>として、親と子のひとつのありようとして、自分の中に埋め込まれたような気がしました。





Ueda Lab (心理療法研究室)

とある大学で心理療法の研究と教育をしています。

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