ともに眺めること
ともに眺めること。
これはわが国の母子のあり方をよくあらわすキーワードと言われています。
上の二つの写真は、上村松園の『母子』と『虹を見る』という作品です。このようにわが国の母子像を描いた絵画には、
①母子(特に男の子)が身体接触をしながら、②ともに、③何か儚いもの(月や花火や虹など)を眺めている構図が多いのです。
これを最初に見出したのは北山修先生で「共視」viewing togetherと呼ばれています。他方、西洋絵画の母子像には母と子が目と目を見合わせているような対面的な構図が多いと言われています。
「共視」と表現される<抱え込むような二者関係プラス眺める対象としての第三項>というあり方は、心理治療的な構造の原初的な形と考えられています。したがって、「ともに眺める」こと、特にそれがわが国によく見られること、についての研究は、臨床心理学的に大変大きな意義があると考えられます。
私は、現在個人的に、この「眺める」という意識態度について集中的に研究しています。
特に「見る」という意識態度(これは<分離し、はっきりさせる>態度という意味で、スタンダードな意識のあり方と考えられます)と対比しながら考えています。
この「見る」と「眺める」という枠組みは、もしかしたら心理療法にとって非常に本質的な理解を促すものになるのではないかと考えています。
「誰かと」「儚いものを」「ぼんやりと眺める」というあり方、それは心理療法が、具体的なハウツーやトレーニングと異なることの一つの説明となるかもしれません。
ともに眺めること。
このことについては、また機会があれば本ブログでも別の角度から取り上げてみたいと思います。
(『東京物語』小津安二郎監督 より)
(『東京物語』小津安二郎監督 より)
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