「負けました。」
「負けました。」
と、自分から言うことができるようになりました。
これができるようになって、(人生は決して損得で測れないものですが、それはそれとして)生きるということについて、ずいぶん「得」をしているような気がします。
ただ、こういうのはちょっとクセになるところもあって(笑)、自分の場合は、すぐに「負けました。」と言って、周りから「もうちょっと頑張ったらどうか」とお叱りを受けることもあります。
「負けました。」と自分から言うことが、なぜ「得」なのか。
いろんな側面から考えることができるように思います。
私は将棋が好きです。数少ない趣味のひとつとして、指すのも、見るのも楽しんでいます。
大学院生の頃は、実験と称して実験室を借りては、籠って友人と一日中将棋を指して過ごしていました。…そして、しばしば先生から怒られました。
(余談ですが、その後、将棋に関する論文や文章をいくつか書くことになったので、何が勉強になるかわからないものですー(笑))
将棋は、たとえば「遊びであること」、「盤という枠と限られた駒でほとんど無限の表現ができること」、「取った駒の再利用ができる唯一のゲームであること」、「二者間の非言語的コミュニケーションであること」など、臨床心理学的に考察するに値するものが多くあるのですが、その中でも非常に重要な側面のひとつとして、自分から「負けました。」と言わなければならない点があげられます。
多くの人が、この「負けました。」と自ら言うことを、将棋のもっとも大事な点であると強調しています。将棋の対局を見ると、勝負がつく瞬間に、負けを悟った方が、駒台に手を置いて「負けました。」と言っている姿を見ることができるでしょう。
将棋は「王」を取る(本来は王様ではなく、玉(大切なもの)を取る)ゲームですが、決して、最後まで指さないのです。トドメを刺さないゲームなのです。
「負けました。」と言うことと、それを受け入れることは、礼を重んじる風習をゲームの中に残した将棋の面白い側面なのです。
将棋を指していると、「負けました。」と言うことは(悔しいことは悔しいですが)、いっそ清々しいところもあるのが不思議です。(というのは、半分冗談で、つまりは弱くて、よく「負けました。」と言わなければならないだけですがー)
負けながらも、トドメを刺されない工夫だと言えます。
別の角度から見ると、次のようにも言えると思います。
羽生善治さんもよく言われていますが、「負けをどのように受け入れるか」が将棋を(これを、人生を、と読み替えても十分よいはずです)長く指していく際のひとつのコツであるということです。つまり、天才と言われる羽生さんでさえ、勝率的には10回に3回は負けるので、いかにそれを引きずらずに次の対局へ向かうかが非常に重要なのです。
その際に、自分から「負けました。」と言うことで区切りがつけやすいのです。
もうひとつ卑近な例を挙げることを許してほしいと思います。
『麻雀放浪記』の阿佐田哲也さん風に言えば、「全勝を目指すことは戦略的に正しくない」ということになります。勝負は勝ったり負けたりが通常なので、本当に強い人は、常に6勝4敗くらいで、上手に負けを引き込んでいるというのです。勝ち続けるということは、異常な事態で、むしろ注意が必要なのです。
「禍福はあざなえる縄のごとし」とか「二つ良いことさてないものよ」というところでしょうか。
なるほど、と思います。
私も何か良いことがあると、「そんなに良いことばかりあるはずがないぞ」「どこかで負けを引き込んでおかなければ危ないぞ」と思うようになりました。逆に良くないことが起こると、「これくらいの負けを今引き込んでおいてよかった」とほっとしてしまいます。あまりほめられたことではないような気もしますが(苦笑)、阿佐田哲也さんも「勝負という意味では、実は大事なことだ」と言っています。
もちろん負けは負けですから、自分にそれなりのダメージのあることでなければなりません。負けたふり、というのではないことに注意が必要です。
もう一つ、阿佐田哲也さんの受け売りをさせてもらうと、人生を「対人関係における勝負の連続」と見たとき、先に自分から「負けました。」と言うことは、相手に一本取らせてあげた、という意味で、先にこちらがポイントを挙げていると見ることもできるのです。
なるほど、と思います。
相手は、どこかで一本取らせてもらった分のポイントをこちらに返さなくてはならなくなるので、必ずこちらのプラスにもなるというのです。
「自分が負けを宣言して勝ち星をプレゼントしても、その相手が全勝を狙っていれば、損をするだけじゃないか」と言われるかもしれません。しかし、それは少し違うのです。
阿佐田哲也さんも言うように「10勝0敗の相手を0勝10敗にすることは難しいことじゃない」のです。勝てる相手としかやっていない人というだけです。むしろもっとも手強いのは、「誰とやっても6勝4敗の人」で、上のステージで戦うようになればなるほど、相手は皆、6勝4敗のような人ばかりになります。そのような相手を完全に負かし込むことはできません。だから、「星のやり取り」が重要になるのです。
もし人生を人との勝負と言うのであれば、その勝負というのは一回きりのものではありませんものね。ものすごく長いスパンで、かつ様々な側面も込みの「全体」で見なければ、その実態はわからないと思います。そこには、「負け」も大事な要素として入っているはずです。
「負けました。」
また言いそうです。
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