臨床心理学で博士論文を書くということ(その1)


私は、大学院の博士後期課程を出て、ずっと臨床の現場で働いてきました。

その後(40代の前半になって...)、機会に恵まれて「博士論文」を執筆し、博士号を取得しました。


これからその「博士論文」について書いてみたいと思います。


目的は、ー

かつての私と同じように、これから博士論文を書いて博士の学位を取得しようと志す人の何か役に立つのでないかということ。

何より、自分にとって「博士論文を書く」ということは非常に大きな体験であったので、それを言語化して整理しておきたいということもありました。




いわゆる博士という学位を得るということはどういうことかー


当時私自身も雲をつかむような話で、誰にも聞くことができませんでした。

インターネット上を探してわずかにあったブログの体験談に(領域や取得の仕方が違ったので、そのままは当てはめられませんでしたが)ずいぶん助けられた思い出があります。


私の話は、<臨床心理学>という学問領域の特殊性と、<論文博士>(課程博士ではなく)という学位取得の方法のため、かなりニッチな話題かもしれませんが(苦笑)、もしそのような志のある方がいたら、参考になればうれしく思います。


そこで、

長いシリーズになるかもしれませんが、思いつくまま書いてみたいと思います。

(以下は、いわば博士論文に対する、あくまで私の経験した範囲での(かつ差し障りのない範囲での)個人的な物語になります。お役立ち情報というわけにはいかないかもしれませんが、ご了承ください。)




さて、博士論文に関することを書くとなると、どのように書いたらよいか迷うところがあります。

なにせ、博士論文を書くまでに(それなりに必要な)相当長い月日がありましたし、博士論文自体を書いていた時間も(個人的な事情があって)かなり長期にわたったのはもちろんのこと、さらに、博士論文を書き終わった後の影響もすいぶん長く続いているような気がするためです。


とりあえず、


・書き始めるまでのこと

・書いている最中のこと

・手続きのこと

・書き終わった後のこと


と、時系列的に分けて書くのがよいように思っています。




【博士号の位置づけ】

まず、今日は前提ですね。


博士という学位については、「末は博士か大臣か」という言い方があるのをご存じだと思います。かつての私もそういうものだと思っていました(笑)。

今は、「足の裏の米粒」と言われるようです。取っても食えないけど、取らないと気持ち悪い、と(苦笑)。


先に私は、「博士後期課程を出た」と書きましたが、博士後期課程を出たのに博士論文書かなかったの? 博士号取れなかったの? 何してたの?ということを疑問に思われる方もいらっしゃると思います(苦笑)。その通りで、私は、博士後期課程の間は博士論文を書かなかったのです。当時私の周りには、知る限り博士後期課程在学中に博士論文を執筆される方はいなかったように思います。「末は博士か大臣か」という言葉を素直に信じていたくらいですから、私も自分が博士論文を書けるなどとは思ってもいませんでした。

ですから、私は「博士後期課程」を出たのですけど、博士論文は書かずに、単位を取得して退学したのです。文字通り「出た」のですね(苦笑)。


実は、ご存じない方も多いと思いますが、博士学位の取得の仕方には二種類ありまして、ー

一つは、原則として博士課程在籍中に論文を書いてそれに合格して博士の学位を得るものです。これを「課程博士」と言います(博士号としては、私が取得した大学では「甲 〇〇号」と呼びます)。

もう一つは、(時期はいつでもよいのですが)それまでの研究の実績をもとに「博士論文」を書いて、それを大学に申請して、しかるべき研究者に審査をしてもらって、そこにおいて合格することで博士の学位を与えてもらうものです。これを「論文博士」と言います(博士号としては「乙 〇〇号」と呼びます)。


私は先に記したように「論文博士」という形で博士号を取得しました。

もちろん私は「論文博士」でよかったと思っています。というのは、これも後で論じてみたいのですが、「臨床心理学」という領域の特殊性を鑑みると、「課程博士」よりも「論文博士」が向いているのではないか。個人的にはそのように考えているのです。

数年単位で実習という名の治療的面接をおこない(数年継続できることが難しいかもしれない)、また、そのケースが博士論文のテーマに合致した展開を示すかどうかなどまったくわからないわけですから、臨床心理学と言いつつ、臨床そのもので書くことは現実にはきわめて難しいと想像されます。

実は、臨床心理学を研究して学位を取得できるものとして「博士(教育学)」や「博士(学術)」が多いと思われますが、これも「臨床」心理学そのもので書こうとすると課程博士の学位となりにくいことを反映しているのではないかと考えられます。


私は、「博士(臨床心理学)」の学位をもらいましたが、そのことにひそかな誇りをもっているのは、そういったこともあります。




それはさておき・・・


少なくとも、自分の当時所属していた大学で博士号をもっておられた先生はそんなに多くなかった。周囲の大学院生も在学中に取得される人はいなかった。そして、そのことについて特に誰も困っていないようだった。

私は大学院に進学し、研究も好きでしたが、そういった状況ですので、博士号取得が必須とも思っていなかったし、取れるとも「まったく」思っていませんでした。そのようなことを考える自体がおこがましい(苦笑)と思っていたほどです。


今はもう全然違います。

「博士論文」は、功成り名を遂げた先生が自身の研究のまとめとして書くものではなく、研究者としての最低限の知識技能を身につけているということを示すもの、すなわち「研究者のスタートラインに立てているか」を示しているものなのです。

今ではアカデミックな領域で仕事をしようとする人には、取らないという選択肢はないものとなっています。

現に今の若手の研究者は、皆取っておられます。


このように「博士論文」についてはずいぶん位置づけが変わってきており、善し悪しは措いておいて、少なくともこれから博士号取得を目指す人は、まずこの博士という学位の位置づけをしっかり自覚しておかなければならないでしょう。この点が非常に大切です。


私は大学を離れて臨床の現場に出ましたが、その後も、恩師がずっと「研究は続けなさい」「そして、博士論文を書きなさい」と声をかけ続けてくれました(これ自体信じられないくらいありがたいことです)。研究は続けていましたが、それでも「博士論文なんて」と思っていたときに、さらに恩師から「今は昔と位置づけが違う。スタートラインとして認められるものだから、そんなに肩肘張らなくていい。今できるところをやりなさい。」と背中を押してもらったことが何よりも大きな励ましとなりました。


そのような意味で、博士論文を書くということでもっとも大きいのは、そのような、正しく導いてくれる恩師と出会うことなのかもしれません。私はこの点で、まず幸運であったことを認めなければなりません。


最初に一番重要な点を述べることになりました。


もちろん恩師との出会いだけなく、博士論文は(さまざまな意味で)「書き始めるまで」がもっとも重要なのです。


そのことを次回以降書いていこうと思います。


今日はここまで。

Ueda Lab (心理療法研究室)

とある大学で心理療法の研究と教育をしています。

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