「集中は引き算だ」


忙しい...

こんなはずじゃなかった...


そういうのって、言いたくないです。格好が悪い。

でも、「あれ、こんなはずじゃなかった」(苦笑)。


    新型コロナウィルスの影響で私の仕事の中でもリモートワークになった部分があり、本来もう少し有効に時間が使えてしかるべきですが、そうではないんですね。かえって、妙な多忙感さえあります。もちろん今回の危機的状況に対応するための業務が増えているということはあると思うのですけど、それだけではないようです。

 皆さんはどうでしょうか。


 変な言い方ですが、私はなんだかもったいないなと感じているのです。


 せっかく外に出られない時期なのだから、これまでと違う時間の使い方をしたかった。けれども、時間の使い方(働き方と言いますか)はあまり変わっておらず、むしろバタバタしている。

 例えば、このブログももともとそんなに頻回に書けると思っていませんでしたが、それでも2週間に一度くらいはと思っていました。それもここのところ月に一度がせいぜいといったペースです。

 なぜなんでしょうかー。




「集中は引き算だ」


 これは僕の友人に教えてもらった言葉です。

 なるほど。


 必ずしも「足し算」が効率を上げるものではないのかもしれません。ただ、私たちは、忙しいと必然「足し算」になっちゃうんですね。


 どんどん足し算してその状況を克服しようとする。足し算ですから、ますます忙しくなる。結果、ただバタバタを動き回っているだけになる。

 そのことによって、深みが欠けると言いますか、本来なすべきことの質も落ちているように思います。

 周囲も、足し算の上手い人はいるのですが、引き算の上手い人をほとんど見ません。




 なぜ「引き算」が難しいんでしょうか。


 少し前だと、お酒を飲みに行ったり、タバコを吸ったり、通勤電車の中で居眠りしたり、そういう「引き算」の時間が容易だったのですが、今はこの新型コロナウィルスの影響で、そういった引き算の機会が軒並み減っていることもあるでしょう。


 もっと根本的に、引き算していくと何も残らなくなるという不安があるのでしょうかー。(個人的には、引き算でなくなってしまうものならそもそもたいしたものでないのだと観念するほかないと思っていますが)


 われわれは、思い切って何かを「しない」という方法をとる勇気をもつべきなのではないかな、と思います。そして今、ちょうどその勇気を鍛えることができるチャンスなのではないかな、と思います。


 例えば、スマートフォンを見ている時間が以前よりも増えているよう感じているので、私はときどき意識的に電源を切るようにしています。ささやかな抵抗かもしれませんがー。

 あと、昼食後は仕事をせずに昼寝して、夜は仕事をせずに早めにお酒を飲むようにしています。


 なんだか「引き算」を取り違えているような気もしないでもないですが・・・(苦笑)。


 これからは「集中は引き算だ」を言い訳にして、もっと楽をしようと思います(笑)。


Ueda Lab (心理療法研究室)

とある大学で心理療法の研究と教育をしています。

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