『音楽と数学の交差』
読書の秋です。
最近は専門に直接かかわる本の紹介が多かったので、今日は少し違う分野で面白かった本を取り上げてみたいと思います。
『音楽と数学の交差』(桜井進・坂口博樹 大月書店)
音楽と数学
私の二大苦手なものです。
苦手なのですけど、「好き」なのです。
数学がスムーズに理解できたらどんなにいいだろう、音楽が上手く演奏できたらどんなにかいいだろう(それを仕事にしたかったくらい)。
私の人生は、好きなものが苦手であるという、なんともせつない人生なのです…。
実は少し前ギターを習いに行っていたことがあり(それだけでもいかに好きかがわかっていただけるかと思います)、しかし全然上達せずに、そのうち忙しくなって続けられなくなってしまいました(同じく、どれだけ苦手かもわかっていただけるかと思います(涙))。
そのギター教室の先生が、きわめて理論的に(というか非常に数学的に)演奏を教えてくれる人で、それが(ギターはさっぱり上手くならなかった代わりに)習い事としてとても面白かったので、その経験から、いつかこの本を読みたいと思っていました。
私は先のギター教室の先生に出会うまで、音楽と数学が近しいなどとはまったく思ったこともありませんでした。むしろ論理と情緒という程度に真反対のものとさえ感じていました。その両者が近いということを知って、ほんとうに驚いたことを覚えています(小学校の音楽の授業でもそのようなことを教えてくれたらよかったのにと思うほどです)。
この本は「まえがき」のところから考えさせられる書きぶりです。
著者は2011年の東北大震災とその後の原発事故を受けて、次のように書き始めます。
原発をつくった人々・擁護した人々・推進した人々は、数字を見て「数」をみていなかったのではないでしょうか。数字は「数」を表すためにある人間の表現方法なのです。表現ですから、そこには主観が入りやすいと言えます。つまり「数字は客観的だから、そこから得られる回答も客観的だ」と思い込んでいると、実は主観で操作された数字に騙されかねないのです。
原発にかかわった人々が、本当に「数」の本質を感じていれば、その「数」がもつ美しさも恐ろしさも実感できたのではないでしょうか。
今こそ音楽にも深くかかわる数学の根源をもう一度考え直すことが問われています。
(前掲書 p2より)
数学者の言葉であるだけに説得力があります。
そして、こころというものを科学的に扱う心理学に置き換えてみても、示唆するところが大きいでしょう。
人間は、数を発見する前に、まず類似するものと相違するものを認識し、同じ仲間が二つ以上あるとき一つと区別し、数えられるということを発見したといわれます。すなわち数の発見は「2」からなのです。「1」は本来「有る」というだけで、「2」を発見することによりひるがえって「1」が認識されたのです。
0から1の変化ではなく、2が大事なのです。
これは世界各地の創世神話がほとんどと言ってよいほど(天と地、父と母、昼と夜、など)「二つに分ける」ことから始まっていることからも納得できます。
そして、このことは心理学的に見て、人間の意識の基本構造とその始まりを意味しているのです。人は「二つに分ける働き」を手に入れてから、「ものごとを認識しうる意識」というものを発達させてきたと考えることができるのです。
さて、音楽はそれが生まれたときから数学とは切っても切れない関係にありました。
というより、音楽は実は数の並びそのものと言ってよいものです。
著者曰く「音楽は身体化された数にほかならない」ということになります。
ううむ、なるほど。
人間が音楽というものを意識し創造するはるか以前から、それはありました。例えば人類が二足歩行をし始めたとき、そこに「ダッ、ドッ、ダッ、ドッ…」という2拍の交替を感じたことでしょう。それはビートということであり、1,2,1,2,という数を感じるということと同義だというのです。
また、リズムばかりでなく音程ということをとっても、音楽は結局はある音とある音との差(正確には比)を感じているということですから、まさに数学なのです。(私はもっと早くにこの本質が理解できていたらと悔やむばかりです—)
本書で面白かったところはたくさんあるのですが、例えば素数と音楽について考察しているところなども興味深いものでした。
素数とは、1とその数でしか割れない数、いわばそれ以上約せない数のことです。
2,3,5,7…23,29,31…97…
論理性、規則性に重きを置く数学の中でも、いまだその並びに規則性は発見されていないそうです。しかし、その並びになにか音楽的なリズムを感じることはできるというのです。
素数の現れ方の絶妙なバランスは音楽の美と一緒なのだと。
数の世界というのは人間がそれを理解する前から存在しているという意味で、宇宙をその中に含んでいます。数学というのは、宇宙の秩序を論理的に表現する手立てなのだと言えましょう。
一方で音楽も数の世界に存在するものですから、音楽というのは宇宙の秩序の(すなわち数の)身体感覚的表現なのだと言えるのです。
混沌から秩序を生み出すのが音楽である。
混沌を他人に伝えられるような秩序に変えるということは、きわめて数学的な作業とも言えるのではないでしょうか。
(前掲書 p117より)
数学も音楽も両方ともセンスのない私にも、言わんとしていることが、またそれがなんとなく素敵なことだということが、わかります。
途中数式が出てきたり、調や音階など音楽理論が出てきたりして、ついて行けないところもありましたが、そこを読み飛ばしても(苦笑)、示唆に富む、とても面白い本でした。
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