風景構成法の文法と解釈


 久しぶりに「本」のカテゴリーでブログを書きたいと思います。


 あまり専門的な本は取り上げてこなかったのですが、最近読んだ専門書の中で非常によいと思った本を紹介します。


 『風景構成法の文法と解釈ー描画の読み方を学ぶ』(川嵜克哲著)


 本書は、風景構成法の理解を深めるための本ですが、描画の解釈という狭い意味にとどまらず、むしろ心理療法という営みの本質が語られている本です。

 すなわち、それは以下のようなことです。


 本書は「アイテムが順番に提示されることこそ、風景構成法の本質がある」というテーマによって終始貫かれています。このテーマはこれまでの「構成型」研究、すなわち「できあがった完成形を分析・解釈する」研究への批判的提案となっています。

 「昆虫の標本を見ても、生きている昆虫のすべてがわかるわけではない」というわけですね。

 逆の言い方をすれば、一枚の絵であっても、それが描かれていくプロセスに深くコミットすれば、その人の相当深いところがわかるというわけです。


 たしかにその通りで、だから「治療者がそばにいること」が箱庭療法のもっと大きな治療的ファクターになっているのですね。


 出来上がった「もの」が大切なのではなく、むしろ作っている経過に(たとえ見ているだけだとしても)いかにかかわっているかこそが、描画や箱庭を治療的にしているアルファでありオメガでしょう。しかし、このことに対する理解のいかに薄いことか。


 僕も、例えば学生に箱庭療法の体験実習をしてもらうことがありますが、そのときに口を酸っぱくして言っているのは、「この実習は箱庭を作る実習だが、本当は、作るのを見ていることの実習でもあるんだ」「決して、出来上がったものについて、後からあれこれ言うことが狙いじゃないんだ」ということです。




 本書で特に印象に残っている部分としては、「置く」ということについて丁寧に説明されているところです。

 寡聞にして、箱庭療法の専門書でも「置く」というテーマで詳細に論じているものを知りません。


 著者は、箱庭療法について「箱」→「選ぶ」→「置く」という視点で、その内的なプロセスを追っていますが、「箱」や「選ぶ」はまだしも、「置く」という動作のもつ意味について、これまで深く考えたことがなかったため、大変刺激的でした。


「置く」とは現実化することである。


「選ばれること」で可能性の次元にあったものからそれは顕在的な次元のものになる。しかし、選ばれただけではミニチュアはまだ現実のものとなっていない。それが砂箱の中に「置かれる」ことによって初めて箱庭の世界の「現実」となる。


置かれることによって、この世界に在る他のものと関係をもつ。もたざるを得ない。そして、他のものと関係をもつことによって、「置かれた」ものはそれが本来もっている象徴的な意味に新たな文脈が付け加えられるのだ。

(上記引用)


 そしてこれは当然、本書のテーマである「風景構成法のプロセス」ともつながるわけですね。


 風景構成法も、さきに提示された項目で構成された世界はそれ特有の心的な磁場を形成しています。それゆえ、教示によって新たな項目を画用紙上に描こうとするとき、新たに磁場に参入しようとする反応とすでにある磁場との間にある種のせめぎ合いが生じます。そのせめぎ合いのプロセスを経て、「落としどころ」的に、その反応は磁場のどこかに配置されるというわけです。そして、置かれた瞬間、その磁場はまた新たな磁場となる。

 

 そのような交互作用的な<意味の生成>を見る(著者は「読む」と言いますが)べきなんだと。


 その意味でも、やはり描画はそれが描かれる「プロセス」が大事なのですね。




 大学院生になると各種心理検査の実習もおこなうでしょうが、施行法の練習や結果の解釈以前に、本書のような内容を十分理解してはじめて描画や心理検査を「治療的に」使えるようになるのではないかと思います。


 お世話になった先生だからということではありませんが、心理療法の本質が理解できる良書だと思います。

Ueda Lab (心理療法研究室)

とある大学で心理療法の研究と教育をしています。

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