映画「江里はみんなと生きていく」を観て


 先日、ポレポレ東中野という小さな映画館で「江里はみんなと生きていく」という映画を観てきました。


 ブログでも時々関連した記事を書くことがありますが、わが家には重い障がいを抱えた娘がいます。もう一人元気な妹もいます。

 長女は小さい頃に大きな病気もし、何度か手術もし、繰り返し入院もしました。今は病気も治り、落ち着いて元気に暮らしていますが、当時は病院に通いづめで、家に帰ってもいろんな医療的ケアや服薬があって気が休まる時がなく、自分が壊れてしまいそうでした。

 たしかにそうだったのですが、今はそのときのことが本当にそうだったのか信じられないような気がすることが不思議です。


 そういうこともあって、少し前に話題になった、障がいを抱えたお子さんとお母さんの日常を追った「帆花」という映画を観ました。同じ東中野の映画館でした。



 「帆花」は障がい児をテーマとしたドキュメンタリー映画としては初めて観たもので、自分でも落ち着いて観られるかどうか不安でした。しかし、結果「帆花」は非常によい映画でしたし、私も落ち着いて映画を観ることができました。

 その「帆花」のX(Twitter)で紹介されていたのが、今回の映画でした。


 「江里はみんなと生きていく」は「帆花」と違う形で印象深い映画でした。


 もちろん江里さんは素敵なのですが、この映画では介護スタッフに多くの焦点が当たっています。

 江里さんのお母さんがヘルパーサービスの事業所を立ち上げて、多くのスタッフが働いておられ、その中の何人かの方が江里さんも担当しています。そして、そのスタッフと江里さんとの交流や介護にまつわる困難やそれらを通したスタッフの人たちの変化も描かれています。

 そういう描き方があるのかと感心しました。


 江里さんは、障害だけでなく、同時に相当程度の医療的ケアも必要とされているので、常に介護スタッフがそばにいる必要があります。地域で暮らしていくためには、とても親だけでその対応はできません。そのため多くの人的資源が必要になるのですが、その可能性と課題も見せてもらったように思います。


 映画では、わが家でも昔使っていた痰の吸引器やネフライザーという霧状にして薬を吸引させる器具や、吊り下げてミルクや栄養を注入するシリンダーやら何やらが出てきて、そういうものを見て、あらためて昔のことを思い出しました。江里さんや江里さんの周囲の方たちのご苦労がわかるとは言えませんが、多少なりとも推測できる気がしました。


 もう一つ、映画の中では結論は描かれていませんが、親亡き後の生活についても扱われていました。

 これは重い障がいのあるお子さんをお持ちの方であれば、一度は、あるいはいつも考えている問題でしょう。

 お母さんがある選択をされているのですが、これについては映画を観ていただきたいと思います。

 私はその選択を十分に想像できていませんし、また自身がそのような選択をするかどうかわかりませんが、一つのあり方であると思いました。




 例えば、高齢者の「生」について、重い障がいを持つ人たちの「生」について、いろんな理由があって働けない人たちの「生」について、勝手なことを言う人たちがいます。

 自分が、自分の家族が、そうなるかもしれないのに。

 障がいをもつ人たちのメッセージもきちんと読み取ることができないないのに。

 そこにある苦労や心配と、同時に、言い表せないくらいの幸せも知らないのに。

 身体の仕組みやお金の流れは知っていても、「いのち」について、まだなにもわかってはいないはずなのに。


 これまで以上にわれわれに想像する力が必要になっているのだと思います。



 その日は映画が終わってから監督とカメラマンの舞台挨拶がありました。

 そこで監督が「決して美しいものを撮って見せたかったでのはなく、いろいろな衝突も含めストーリーが描きたかった。」と言えば、カメラマンの方が「最初何を撮ったらいいのかわからなかった。気がついたら、夜中にケアをしているスタッフにカメラを向けていた。その人が美しく見えた。」とおっしゃっていました。


 パンフレットに監督のサインをいただきました。

 意外にかわいいサインでした(笑)。


 もし関心のある方がいらしたら、ぜひ観ていただきたい映画です。


Ueda Lab (心理療法研究室)

とある大学で心理療法の研究と教育をしています。

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