障がい児、きょうだい児、そして夢
本ブログでは子どもとの生活についても少しだけ触れてきました。
長女は重い障害を抱えて生まれて、また大きな手術を何度もしてきたため、私の生活は常に長女中心にありました。そのことはブログでも何度か触れてきました。次女は健康に生まれて、問題なく育ってきました。
その次女もちょっと早い思春期に入ってきて、いろいろと難しくなってきました。いやはや(笑)。
以前はただ一緒に遊んでいた、一緒に勉強していただけで、かつそのことを「上手くいっている」と思い込んでいたのですが、最近次女は鬱屈とした感じや不満を抱えているようで、頻繁にイライラしたり、強く反抗したりするようになってきました。毎日「荒れているなあ」というところでしょうか。
もちろんそれ自体はよくあることで、発達上も驚くに値しないのですが、それでも自分のこれまでの次女への接し方にかなり反省せざるを得ないものがあるような気がしたのです。
これまでの私のかかわりの何かが「ずれて」いたとして、それが何かはまだよくわかりません。
どのように次女とかかわっていけばよいかもあまりよくわかっていません。
何かヒントのようなものがほしい。そのような気もします。
しかしー。
少なくとも「親学」といったようなものは不要ですし、他者の経験談も、一般論や精神論も不要です。
ただその状況を生きているだけです。余計なものはあまり必要ない。それでよいとも思います。
障がい児を育てる親についての研究や障がい児を兄弟姉妹にもつ、いわゆるきょうだい児の研究も非常に盛んにおこなわれてきました。私も一応心理学を専門とする研究者ですので、それらの一般的な知見は知っています。しかし、今回の次女の荒れが必ずしも「きょうだい児」の問題に収まるとは思いませんし、またある程度そのような問題であったとしても、いざ我が身に起きた場合はこれまでの知識はさほど役に立たないだろうと思っていました。
いずれにしても、少なくとも次女ではなく、「私」が変わらなければならない問題であろうとは考えていました。
それはともかくー。
先日夢を見ました。
すごく長い登りのエスカレーターに次女と一緒に乗っていて、次女は大きめのスリング(大きな風呂敷みたいなものですね)に入れて自分が背負っている。長いエスカレーターは二段になっていて、一段目と二段目の乗換のピロティのところが切れてて、下が見えている。すごく高くて怖いのだけど、そこを飛び越えないと次のエスカレーターに乗れない。自分一人だとぎりぎり飛び移れそうだけど、次女を背負ったままだと落ちるかもしれない。けど、後戻りできないし、次女を置いていけないから、思い切って背負って飛ぶしかないなあと思っている。
この夢はちょうど次女とのかかわりを考えざるを得なかった時だったので、印象に残りました。
そして、この夢について妻と話をしました。
すると妻は「あなたはどうする?」、「わたしなら、先に一人で飛ばせる。弾みをつけて、放り投げるようにして。」と言いました。
「きちんと着地できなくて骨折っても、命さえあれば、なんとかなるもん。笑」
そして、「もし彼女が落ちたら、あと追ってわたしも落ちるかも、だけど。」とのことでした。
私は、落ちるなら次女と一緒に落ちるしかない、ということしか考えつきませんでした。
でも、違う方法もあるのですね。
なるほど、参りました。妻の方が私より一枚上手のようでした。
いずれにしても、この夢を見て、そしてその後、妻と話してから自分の中で次女とのかかわり方に変化が生まれてきたのでした。
今回のブログのテーマに戻ってきました。
長女は障がいや病気のために手がかかりましたが、ちゃんと次女も手がかかるようになっているんだなと(笑)。上手いことできているものだなあ、と思います。
そして、どうやらそれは「私」の覚悟の問題でもあるのだなあと思った次第です。
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