今さら『竜馬がゆく』

 今さら『竜馬がゆく』を読んでいます。


 まだ読んでなかったの?と言われそうで恥ずかしいのですが、まだ読んでいませんでした…(苦笑)。

 司馬遼太郎さんの本は個人的にとても好きで、ほとんど読んでいるつもりなのですが、『竜馬がゆく』だけはなんとなく後回しにしていました。


 『坂の上の雲』や『花神』などは特に好きで、今でも、よく文庫本を手に取ってぱらぱらと眺めています。

 でも、『竜馬がゆく』は、好きな作家さんのもっともメジャーな本だという気負いがあったのか、あるいは坂本竜馬という太陽のようなスター性にちょっと気が引けたのか、自分の中で距離をおいてしまっていました。


 

 さて、それで、なぜ今『竜馬がゆく』を読んで、そのことを報告しているかと言いますと、その内容が今の時代に非常にぴったりしていると感じたためです。

 「ああ、今まで読まないでいて、今になって読み始めたことに意味があるんだ」と感じたのです。


 『竜馬がゆく』は言うまでもなく、幕末の薩長同盟の成立の経緯と、その大立役者である坂本竜馬を描いた本ですが、不思議なほど今の日本の社会状況と相照らすものがあるように思います。


 当時はイデオロギーの時代で、攘夷か開国か、佐幕か倒幕か、ということだけで、世の中が沸騰し、人々が争い、多くの志士がその道半ばで倒れていった時期ですが、一人坂本竜馬だけは、ほかの活動家たちとは全く違った視点で世の中をとらえていたんだということがわかります。



 

 坂本竜馬は、当時誰も江戸幕府を倒すことができるなんて考えてもいなかった時から、それを構想していたわけですが、彼の場合は、倒幕とか尊王とかそういうイデオロギーにとらわれずに発想していたことが特徴です。

 つまり、当時の日本人は(当時日本人という概念はほとんどなかったと司馬は書いています)、幕府の人間か、尊皇派の人間か、あるいは何々藩の人間か、というカテゴリーしかなく、あくまでその中での発想で争っていたわけですが、一人坂本竜馬だけは初めて「日本人」という大きなカテゴリーでものを考え、日本人のための新しい時代を作るためにどうしたらいいか、という観点ですべて動いていたというのです。


 だからこそ、当時もほとんど実現不可能な妄想のようなものとして考えられていた、薩摩と長州の同盟を実現させることができたのです。司馬さんのこのあたりの書き方は実に巧みで、納得させられます。



 

 私には、今の日本の状況を、あるいは世界的な状況をどのように考えたらよいか、明確にはわかりません。そのようなことは世の中に数多いる評論家にお任せすればよいでしょう。

 ただ、われわれの生をめぐる環境があらゆる側面で、鋭く二項対立的になり、そのために閉塞的で生きづらい状況に進みつつあるような印象を受けます。

 

 わからないなりにも、このようなことは臨床心理学を専門とする者はどうしても考えてしまうテーマなのかもしれません。


 


 

 私は、司馬遼太郎さんが資料に当たって調べた竜馬像から、またその竜馬を描く司馬遼太郎さんの筆致から、竜馬が人に対する大きな愛のあった人であること、自由と平等の価値(当時の日本にはそんなものはまったく影も形もなかったのですが…)をとても大事にしていた人であったことを知りました。


 結局、その人間的な魅力が、一脱藩藩士である坂本竜馬をして、多くの人を虜にし、時代を変えるほどの流れを作り出す元となったのだと思います。


 今私たちが生きている時代にも、もう一度そのようなスケールの大きな、柔軟な、そして優しい人が求められているように思います。

 そのような人が現れ、その人の発想に影響を受けながら、今の難しい社会状況を大局的な観点から少しずつ立て直していく、そのような力が日本人にはあるのではないか。


 そのようなことを、今さら(笑)『竜馬がゆく』を読みながら思ったのでした。

 



 

 


Ueda Lab (心理療法研究室)

とある大学で心理療法の研究と教育をしています。

0コメント

  • 1000 / 1000