博石館(ストーンミュージアム)に行ってきました
「石」について、また書いてみます。
先日、家族で岐阜県中津川市にある「博石館」に行ってきました。
ほんとに日本には面白い博物館がたくさんあります(笑)。
Jung, C.Gが石にとりわけ強い関心を抱いていたことはよく知られています。事実、彼はその興味深い自伝の中で、幼少期の頃、ライン川からとってきた小さな石をポケットに入れていつも持ち歩いていたというエピソードを残しています(Jung, 1963)。
Jung, C.G(1963)は、石のイメージを植物のそれと比較しながら、次のように述べています。
“石の中には宇宙の限りなさ、有意味なものと無意味なものとの混乱、
および非人格的な目的と機械的な規則との混乱などが隠されていた。
石は存在の底知れぬ神秘さ、つまり霊の具現を含んでおり、
同時にそれそのものであった”
(Jung, C.G, 1963)
石には、われわれの心を深いところから揺さぶる何ものかがあるのだと思います。
(ゆえに、心理療法的に非常に興味深い対象なのです。)
さて、「博石館」に話を戻します。
以前行って、ブログでも取り上げた「鉱物博物館」に比べると、「博石館」は何と言うか、ずいぶんと豪勢でした(鉱物博物館さんは鉱物博物館さんなりに楽しいのですが(笑))。大きな石のモニュメントがあったり、中が迷路になっているピラミッドがあったり、石のアクセサリー作り教室があったり、砂金すくい体験や、宝石探しができる大きな砂場があったり(子どもたちに大人気でした)、アミューズメント的要素が盛りだくさんでした。
お子さんがいる人は、きっと喜ぶと思います。お近くにお住いの人は、ぜひ行ってみられるといいと思います。
「鉱物博物館」が、どちらかというと素朴な、自然の石をテーマにしているのに対し、「博石館」は宝石のような、特別で希少な石をテーマにしています。どちらも石のある側面をあらわしています。
石というのは、樹木と同じように多様で複雑なイメージをもっています。そのため、われわれの心の深い層にあって言語化しにくい「思い」を投影しやすい対象なのだと思います。そして、これは古代人の迷妄などではなくて、まさに今を生きている現代人にとっても同じことなのです。
だから、今でも、つげ義春は読まれ、石庭を眺め、博石館で遊び、石のブレスレットをつける人が多いのでしょう。
「これこれの石にはこれこれのヒーリング的な意味がある」といった辞書的な理解ではなく、石についてより深い理解が求められているような気がします。
“人間というものは、
石とはあらゆる面において異なるものであるが、
人間の最も内的な中心は、
不思議な、特別な意味で、石に似ているのである”
(von Franz,M.L., 1964)
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