鉱物博物館に行ってきました
石の眠は深くして,花落つれども,ただ,しづか
摩りつおもふ,石の夢,ほのむらさきの土の底
石としたしむ,ひぐれどき,生と無生のへだたりに
こころ音なく沈むとき
(西條八十 『石』)
石は古代から私たちのもっとも身近にある「自然」でした。石は武器や建築などの実用に供されるだけでなく、むしろ単に眺められたり,歌われたりしてきました。きっと石の中に、われわれに向かって共感を呼び起こすなにものかがあるのだと思います。
そして、日本人はどうやら石のもつイメージについて特別敏感で、繊細な感性をもっているように思われます。
その一つのあらわれが、上のような詩であり、もう一つのあらわれが竜安寺の石庭のようなものでしょう。
私も、なぜか「石」に惹かれます。
それも、特別な石ではなくて、むしろどこにでもあるような「石ころ」に惹かれます。
京都に住んでいたころは、いろんなお寺の石庭に見に行ったり、飛鳥の石舞台や下賀茂神社の「さざれ石」なども見に行きました。
私の専門である心理療法という観点から見ても、石は実に意義深い対象です。
端的に言えば、箱庭療法や風景構成法で石は必ずテーマになりますし、また、石のあらわれる神話・伝説・物語などを読むと、石イメージにわれわれが非常に大切なものを投影していることがよくわかります。
そのような関心から何本か論文を書いたこともあります。(しかし、石についてあれこれとあまり熱く語ると、変なやつと思われるので、最近は控えているのです―(笑))
で、最近はごく個人的に石を楽しんでいます。
先日、岐阜県中津川市にある鉱物博物館に行ってきました。
京都や奈良にも面白い石はたくさんありましたが、岐阜県は石の産出地として有名で、そのせいか、石をテーマにした博物館がいくつかあって、いつか行ってみたいと思っていました。
鉱物博物館は、山の中の本当に小さな博物館で、特にどうということは(すみません(笑))ないのですが、そこがまた「石イメージ」にぴったりでよかったです。ざっと館内を見た後は、外の広場で「水晶探しゲーム」をし(子どもが楽しみました)、それからベンチに座ってお弁当を食べました。
That’s all. それだけです。
実は、石については書きたいことがたくさんあります。
石について真剣に調べると(他の人からはバカにされますが―(苦笑))、心理療法について相当いろいろな理解が深まると言ってもよいほどです。
そのようなことも、このブログで少しずつ発信していきたいと思います。
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