敬して遠ざける

この人とはできればかかわりたくないなという人がいます。


好きとか嫌いという以前に、<これはほんとにまずそうだ>と感じるタイプの人です。

私の場合は、<正直じゃないな><権威主義的だな>と感じる人がそうです。かかわるとロクなことがないような気がして、逃げ出したくなります(苦笑)。


一方で、礼儀がどうとか、言葉遣いがどうとか、常識があるとかないとかは(自分がダメだからかもしれませんが(笑))、気になりません。


こういうのはまったく個人的なことなので、人それぞれで、善悪などありませんが、自身の精神衛生上、「かかわりたくない人」には近づかないに越したことはないと思います。



それでも「かかわりたくないけど、かかわらざるを得ない」こともあるでしょう。

生きているとは、おそらくそういうことですものね。


学校であれば、同級生や部活の先輩、先生。職場であれば、同僚や上司にあたる人などが、そういう「かかわりたくないけど、かかわらざるを得ない」人だとなかなか大変だと思います。

実際、そのようなことで困って、われわれのようなところへ相談に来られる人も多くいます。


私自身はそういうとき、「敬して遠ざける」(敬遠)ということを心がけています。


これは河合隼雄先生がどこかで言われていて、なるほど、そうだなと思ったものです。


「かかわりたくない人」を単純に遠ざけると、相手も敏感に反応して、ややこしくなるので、気持ちとしては「敬して」(どのような人にも学ぶところはあるもので…)、実際には「距離を取る」ということがよいだろう、という意味だったと思います。


実際、仕事の場面などでは、「ああ、たしかにそうですね」「さすがですね」「知りませんでした」「なるほど、勉強になりました」(ニコッ)というようなかたちで相手を立て、「また機会があったらお話をお聞かせください」とか「あとはこちらでやっておきます」とか言って終える、というものです。(なんだかずいぶん具体的なハウツーですね(笑))


私は、このような考え方を教わってずいぶん楽になったところがありました。


昔は単純なもので、「ぶつかる」か「逃げる」かしかやり方がなく、「敬して遠ざける」ようなやり方はまったく思い及んでいませんでした。今考えればまったく雑な対人関係の取り方でした。



「敬して遠ざける」際に、追加で大切なことがあるとすれば、相手を遠ざけながらも、こちらも常に相手が無視できない程度の力を持っておくことだと思います。それは仕事における特定の技術でも、友人の多さでも、なんでも良いと思います。そのような力がないと、逆に軽んぜられて、一方的に理不尽な扱いを受けることがあるからです。


つまり互いに「敬」がないとダメなのですね。


本当にむずかしいものです。

できるだけ、そのような人と巡り合わないことを願うばかりです。


Ueda Lab (心理療法研究室)

とある大学で心理療法の研究と教育をしています。

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