朝の逆走

 ささいなことだけれど、心に引っかかっている出来事がもう一つあります。

(あまり、このような出来事ばかり書いていると何のブログかわからなくなりそうですが)


 私は毎朝電車で通勤をしています。東京並みとは言いませんが、名古屋も朝の時間は相当のラッシュになります。駅の階段なんかも渋滞して、ほとんど前に進まないこともあります。

 やれやれです。


 先日、そのラッシュ時の駅の階段で、全体の流れと逆方向に急いでいる男性の姿がありました。全体の流れは上りなのですが、その人はその流れに逆らって、下に逆走(混んでいるので走れてはいませんが)しているのです。あの人ごみに逆らって動くのは、肉体的にも大変ですが、精神的にも相当タフでないとできないはずです。大勢の人ににらまれたりしそうですから。

 ずいぶんと勇気(という表現が適当かわかりかませんが)のある男性だなと感じました。


 でも、その人はずんずん(ぶつかりながらも)進んでいました。そして、階段の中ほどに来た時に、急にかがんで、何かを拾ったのです。拾うや否や、今度は流れと同じ方向に、つまり階段を上っていきました。


 僕は「ああ、人ごみに逆らってまであんなに急いで下りてきたのは、落とし物をしたからだったんだな。きっと大事なものだったんだろう。拾えてよかったな」と思いました。そして、ちょうどその人の後ろをついていくような感じで、改札あたりまで来ました。

 すると、その人は、駅員さんにさっき拾ったものを渡したのです。それは自分の物ではなくて、他人の落とし物だったのです。僕は駅員さんに渡されたその小さな落とし物も見ることができました。

 それは「お守り」でした。


 僕は目が洗われるような気持がしました。この人が朝のラッシュの階段を(大勢の人々から嫌な目で見られながら)逆走して拾ったのは、他人のお守りだったんだと。本当にびっくりしました。どうしてそんなことができるのだろうと。

 もちろん、「お守り」を探していた人が、駅で見つかったと知ったら、どんなにか喜ぶでしょう。ただ、この男性は何か見返りを求めてそのような行為をおこなったのではないだろう、この男性にとってはごく自然な行為だったのじゃないか、と感じられたからこそ、心が打たれたのかもしれません。

 そして、たとえ持ち主のところに戻らなかったとしても、この「お守り」はきっと幸せだろう(お守りが幸せというのも変ですが)とも思いました。

 ささいなことといえば言えそうですが、私にとってはとても印象深い出来事でした。


 これには後日談があります。というよりも、まさにその日のことだったのですが、僕も電車に乗っていて、落とし物を見つけたのです。そして、それを拾って、駅員さんに届けることが「できなかった」のです。


 引っかかっていることは、いつも心理療法と関係づけて考える癖が僕にはありますが、この出来事も、自分のやっている心理療法を振りかえる機会となりました。何がどう変わったのかは(前の出来事同様)上手く言えませんが、少なくとも自分のやっている心理療法が大したことではないということだけは、自覚できたように思います。

 

 自分も、あの男性のように、人ごみに逆らって落とし物のお守りを拾い行くような勇気をもちたいと願います。


Ueda Lab (心理療法研究室)

とある大学で心理療法の研究と教育をしています。

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