8年ぶりのパパ


 長女は重い障がいを抱えて生まれてきました。その長女と生きることは私の人生後半の大きな課題となりました。あるいは、生きる意味になったと言ってもよいかもしれません。


 長女はNICUにいる間に大きな心臓の手術をし、病院から出たのは、生まれてから7ヶ月経ったときでした。その後、なんとかおそるおそる子どもとの生活をスタートできたかと思った3歳の時に、突然肝芽腫という小児がんが見つかり、それが手術と抗がん剤でようやく治療を終えることのできた6歳の時に、今度は脳症というまったく別の病気にかかってしまいました。


 心臓の手術も小児がんも、狂うほど大変でしたが、今思い返してもっとも辛かったのは脳症になったときでした。小児がんの手術を終えて少し時間が経ち、命が助かったことをようやく実感した頃でしたし、抗がん剤で抜けた髪の毛も生えそろい、小学校の就学を控えて今度こそ家族の生活を取り戻すんだと前を向きかけていたときでしたからー。


 脳症になって、娘は言葉を失いました。いろんなものを失いましたが、言葉が話せなくなってしまったのは本当に辛かった。

 恨みという言葉や怒りという言葉では表現できない苦しみがありました。




 長女はそこから少しずつ時間をかけて回復していって、今では(以前ほどではありませんが)話せる単語や表現も増えてきました。もともとはおふざけが好きな子だったので、そういういたずらっ子な側面も戻ってきて、楽しく暮らしています。元気に中学校にも通っています。私も、当初の怒りや混乱を(消えることはないものの)、忘れることもありました。

 ただ「パパ」だけはずっと言えなかった。脳症後に言えるようになった言葉や単語もあるのですが、破裂音が難しいのか、「パパ」だけは言ってくれませんでした。もちろんそんなこと気にもなっていませんでしたが。そもそも、パパと呼んでもらえたからどうとか、呼んでもらえないからどうとか、そういった気持ちはまったくありませんでした。この際、何でもいい。一言でも二言でもいい、あるいは一言も言えなくても元気であればいい。親の名前を呼んでほしいなど言うのは、取るに足らないエゴです。


 ただ最近気がついたのは、「パパー」って言ってるなと。妻や次女が「最近、パパって言ってるよね」と。


 たしかに、呼んでいるのか、ふざけているのか、私といるときだけ「パッパー!」「パッパー!」と言っているのはたしかです。特に毎晩布団に入るときに、ひとしきりふざけて遊ぶのですが、「パッパー!」「パパパー!」と笑いながら叩いてくるのですが(笑)、それはなんと言うか、とても幸せなことです。




 脳症になってから8年が過ぎていました。


 8年ぶりの「パパ」は、私にとってなにより大切な言葉になりました。


Ueda Lab (心理療法研究室)

とある大学で心理療法の研究と教育をしています。

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