臨床心理学で博士論文を書くということ(その6)


 私が博士論文を書いたのはもうかなり前になりますが、自分にとって非常に大きな影響を与えた体験となったので、本ブログでまとめて書いてきました。臨床心理学は大学院に進学する人の多い学問領域でありながら、同時に実証的手法を軸とする学問とは異なる難しさを抱えているものでもあるので、これからこの領域で博士論文を書こうとされている方たちへ何か参考になるものがあればいいなという思いもありました。


 さて、前回、「書き終えてから授与される手前」までをまとめました。

 今回は「書き終えたのち自分に与えた影響の大きさ」について書いてみたいと思います。




 博士論文を執筆し、口頭試問を受け、さまざまな書類提出や手続き等を済ませますと、博士号の授与式がおこなわれます。


 私の場合、授与式は大学の学長室でおこなわれました。自分と主査の先生と学部長、そして学長先生の4名だけというこじんまりとしたものでした。大々的な授与式でなくてほっとしました。それでも学位記をいただいたとき、なんとも言えないうれしさがありました。

 それはこれまで感じたことがなかったものでした。私にとっては、最初にも書いたように、当初は想像もしてなかった、夢のようなものでしたから。


 学長室で、主査の先生が同席の上で、学位記を手渡してしてもらったときー

 もう中年のおじさんですが、年甲斐もなくうれしかったです(笑)。

 

 「晴れがましい。」


 これまで生きてきてそんな言葉を使ったことは一度もなかったと思いますけれど、ここに至るまで子どもの病気も含めさまざまな出来事があったので、本当にうれしかったです。言葉では上手く言い表せない感情でした。


 例えば、学会誌に論文が掲載されるとか学会で賞をもらうといったことはうれしいもので、しかも、第三者の目に留まるという意味では評価もされやすいのですが、博士論文は長い論文を書くわりに別段誰かに知られるわけでもないものです。でも、そんなことはおかまいなくうれしかった。誇らしい感じがしました。自分だけにわかる満足と言いますかー。

 これまで特に何かを達成したこともなく、誇れるものも身につけてこなかった自分ですが、ようやく一つ達成したのだろうかという気持ちでした。



 学位をいただいてあらためて思ったことは次のようなことです。


 私は、自分が仕事としている心理療法やその学問的背景である臨床心理学について、それまで十分理解している自信がなく、何か心細さのようなものを抱えていました。特に大学に勤めるようになってからは、周囲は皆人柄も立派で、頭も抜群に切れる研究者たちばかりですし、教育において今ひとつ自信をもって学生に伝えることができていなかったように思います。

 博士論文を書いて大きく知識量が上がったとか、その学問について理解が深まったということはないのですが、ひとまずあるテーマについて自分なりに調べてまとめたものが認められたことで、自分が「臨床心理学」について多少なりとも何かしゃべってもいいのだという自信のようなものがついたのは大きかった。そう思います。

 



 一連のブログのテーマは「臨床心理学で博士論文を書くということ」でした。

 

 臨床心理学は、人と人とのかかわりを研究する学問です。その中でも私が選択した事例研究という手法は、仮説検証的な研究ではなく、息の長い、先の見通しを得にくい取り組みです。何よりそれをおこなっている「私」という要因が入るために、いわゆる実証科学論文とは異なる論文の書き方になることを意識する必要がありました。どうしても「私」の生き方と切り離すことが難しかったと言いますか。振り返ると、そのあたりに独特の困難があったように思います。

 また私の場合は、臨床現場でそれなりに勤めた後に論文博士という形式で遅くにスタートしたため、完成までに時間も多くかかりました。


 それらの条件は特殊であったかもしれませんが、臨床心理学という領域で博士論文を書く場合には、マイナスなことばかりではなかったように思います。


 そのようなことをふまえ、このブログのような書き方が、他でもない、臨床心理学というなかなか手強い学問領域において博士論文執筆を目指す人たちに(多少ニッチなものになりましたが)、参考になるものがあればと思います。


 実はこの後、この博士論文に書いたものが評価されて、日本心理臨床学会の奨励賞という賞を受賞しました。また、日本箱庭療法学会から助成金をいただいて、この博士論文をもとに単著を出版することができました。

 これらはさらに自信になりました。また自分の仕事のキャリアアップにも意味があったと思います。本ブログのシリーズの最初に書いた、家族を養っていく上で何か役に立つのではないかという俗物的な目的にも資するものがあったようです(笑)。そういった意味で両方ともものすごくありがたいことなのですが、どちらもあくまで博士論文を書いたことの想定外のご褒美、うれしいおまけと理解しています。自分にとっては博士論文を書き上げたことが何より大事でした。




 ここまで書いて、この長い一連のブログのシリーズは終わります。


 ともかく博士論文を書いてみてわかったのは、


 あきらめずに、継続することが大切であったと思うこと。

 書き上げて初めて自分の中に一つ安定した土台ができたということ(それまで長い間土台がなかったということですが(苦笑))。

 と同時に、書いたものは決して「まとめ」とか「完成」ではなく、「スタートライン」であったなあということです。


 「書く前にわかっていたのではなくて、あくまで書いて初めて自分にとって大切なテーマがわかった」という気がしています。もう少しやらないといけないことがある、終わりではない、まだ前を向ける、そういう動機づけとしても意味があったと思います。


「集大成ではない、スタートラインなのだ。できるところからやりなさい。」


 と、最初に声をかけてくださった恩師の言葉をあらためて思い出しています。

 

 臨床心理学という、少し特殊な学問領域で博士論文を書こうとされている若い方に何か参考になるものがあればよいなと思います。


Ueda Lab (心理療法研究室)

とある大学で心理療法の研究と教育をしています。

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