忘れられない光景(3)


 ときどき、主に子育てに関することですが、忘れられない光景について書き留めています。


 今から10年近く前のこと。長女は障害を抱えて生まれ、その後も手術などがあって、ようやく口から食べられるようになったくらいの時期でした。

 当時、僕は東京に住んでおり、子どもは療育のために、王子にある東京都立北療育センターに通っていました。


 いつもは通所で療育を受けていたのですが、事情で2週間ほど療育センターに入院のような形になりました。

 下の子が生まれる直前でもあり、僕は仕事が午後からだったこともあって、毎日朝一で療育センターに向かい、朝ご飯を長女と食べ、その後は(まだ歩けませんでしたから)おんぶして療育センターの中をひたすら歩き、飽きたら1階のテレビの前にある子どもの遊び場などで過ごして、昼ご飯まで食べさせてからあわてて仕事に行くという生活でした。

 当時僕は子どもの体調のことで極度に緊張して、仕事も手に付かず、壊れる直前であったように思い出しますが、このあと長女が小児がんに罹ったり、脳症になってしまったりしたことを考えると、まだ序の口だったのかもしれません。


 それはそれとして。

 その日も午前中ずっと長女をおんぶして散歩をしていたとき、離れたところで、同じ療育センターでリハビリを受けているのであろう、ある親子を見かけました。

 一人は成人のかなり大きな男性で、寝たきりのようで、大きなストレッチャータイプの車椅子に乗っていました。それを高齢のお父さんと思われる男性が押していました。それ自体はよく見かける風景でしたが、ちょうどそのとき、そのお父さんがストレッチャーを止めて、息子さんであろう男性にストレッチャーの上から何度も抱きしめて頬にキスをしていたように見えました。


 僕は瞬間、そのお父さんの気持ちが痛いほどわかりました。というより、そのお父さんの気持ちがわかるようになったのだということに気がついてうれしかった。僕の娘よりはるかに大きい息子さんですから、もう長く一緒に暮らしてきたのでしょうけど、今になってもそのかわいさにまったく変わりがないのです。

 そうなんだよな、大きくなってもかわいくて仕方ないんだよな、と。当時長女は小さくて、僕にとってはもちろんかわいかったのですが、自分が高齢になって、娘が大きくなっても、たぶん変わらずかわいく感じるはずだと直感しました。

 当時仕事の合間に療育センターに通っていることを大変だ、辛い、と認識していたのですが、その親子の姿を見て、これからもリハビリに付き合って、ときには抱きしめたいと感じる、そういう気持ちが続くなら幸せなことだなと気がついたのでした。


 長女はその後もいろいろ大変な病気があって、なんとかそれを乗り越えて今中学1年生になりました。

 身体も大きくなりました(それでも一般の中学生に比べれば非常に小さいですけれど)。それでも、僕の中の感じは2歳くらいのわが子のかわいさがずっと続いているのです。これはよいことなのかどうなのかわかりませんが、少なくとも重い障害を抱えた子どもをもっている親御さんにはわりと共感してもらえるのではないかと思います。療育センターで見かけたお父さんと息子さんのように。


 私は今でもそのストレッチャーの上に横たわっている大きな男性を抱きしめている高齢のお父さんの姿が目に浮かびます。

 それは、忘れられない光景の一つになりました。


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