心理面接と「手渡し」


   小さい頃祖父と父に教えてもらった思い出があって、将棋が趣味になっています。

   このブログでも、何度か取り上げたことがあります。

 大学院時代は、友だちと「実験をする」と言っては実験室を借り、そこで将棋ばかり指していて、あげく指導を受けていた先生に怒られたものです。


 それが高じて、その後デイケアや作業所で働くようになってからは、メンバーの方と将棋ばかり指していた時期もありました。これは結構盛り上がりまして、大きなトーナメント表を作っていろんな人たちが参加してくれて、私が行く日は普段来ないメンバーさんも来てくれたりと、それだけでも大学院時代に将棋で遊んでいた甲斐がありました(笑)。


 さらにそれが高じて、これまでに心理療法と将棋をテーマにして何本か論文を書くこともできました。(ご関心の向きは、下記の論文を読んでいただければと思います)


・上田琢哉(2002):将棋というボードゲームを通じてできること.日本芸術療法学会誌, 33(1):38-45.

・上田琢哉(2010):心理療法と面接記録―初心者にとってのトレーニングという視点から―(将棋の棋譜との比較).東洋英和女学院大学心理相談室紀要, 13:38-46.

・上田琢哉(2012):カウンセリングとカウンセラーの個性(棋士の個性との比較).東洋英和女学院大学心理相談室紀要, 15:1-4.


 (私はこういう論文を書いているから学会の中心からはぐれていくんだと思いますが(苦笑))自分としては、将棋の構造は心理療法の本質的な問題に触れているのではないかと考えているところがあって、将棋を指すこと自体はもうほとんどありませんが、ずっと関心を持ち続けています。



 

 最近、ヤフーのトップページで羽生善治さんの動画が流れていたこともありまして、また考えることがありました。

 それは次のようなことです。


 つまり、心理面接のコツは、将棋でいう「手渡し」なのではないかなと。


 「手を渡す」とは「手待ち」と同じ意味で、いわば一手パスをして相手に指してもらうということです。

 もちろん将棋に一手パスはありませんから、厳密には、意味のない手を一手指して、相手に手を渡すということです。

 これは簡単なようであって、実はきわめて高度なテクニックなのです。


 将棋は二手連続で指すことが出来たら、どんな相手にでも簡単に勝つことができます。

(王手をかけるだけなら比較的簡単ですから)

 実際には二手連続で指すことはできませんが、同じような意味で「一手でも相手に先んじて攻めたい」というのが、将棋に向かう通常の心理だと思われます。


 ところが、プロになるとそうはいきません。というのも、プロである以上、互いにそれなりの高い技量がありますので、一方的に攻め倒すということはできないのです(一方的に攻め倒せたとしたら、それは立っている土俵が適切でないのです。実力にあった土俵に立てば、そうはいかないでしょう)。

 ゆえに、プロの場合は、互いの陣形を見ながら、こちらが一番良い形になったとき攻めかかりたい。(この良い形というのも難しいのですが)


 しかし、ここで難しいのは、将棋は先に述べたように、一手ずつ交代で指すのですから、そしてプロである以上実力に大きな差はないのですから、こちらがベストな状態のとき、相手もベストな状態になっていることが多いのです。


 でも、先に攻めかかれるなら攻めたらいいじゃないかと言う向きもあると思いますが、将棋に限らず勝負事は、「動けば、動かれる」という側面があるのです。すなわち、攻めようとすれば、自分から先に良い形を崩すことになるので、(逆説的に)そこに反発されてしまう危険があるのです。

 したがって、高度になると、そういうときに一手パスして、相手に動いてもらってから(相手が先に良い形を崩したときに)、攻めたい。そのような思考になっていくのです。(ーでも、これは相当怖いことでもあります。先に攻められる可能性がありますからー)


 これが上手いのが羽生善治さんで、今攻めかかるのではないかというギリギリのときに、さらに一手婉曲な手を指して手待ちをするのです。

 このときにプラスでもなくマイナスでもない手を探すのがきわめて難しいのです。




 心理面接も一対一のコミュニケーションであるから、将棋に似るはずです。


 私の表現で言うと、心理面接はいかに上手く「手を渡せるか」ということに尽きるのではないか。そう思うのです。


 それは、相手に動いてもらって、それに対応していくという意味でもあり、また、相手に主導権をもってもらうという意味でもあります。


 すなわち「待ち」です。


 完璧なディフェンスをしている相手に言葉を打ち込んで行くのではなくて、手待ちをして、機が熟し切って、向こうが動かざるを得なくなって、少しバランスを崩したときに、(こちらもバランスを崩しながら)打ちかかっていくものなのだという気がします。


 こういうのが河合隼雄先生はすごく上手だったんじゃないかと想像します。


 心理療法を何かに喩えて考えることは楽しいものです。

 私は私なりに自分の好きな将棋に喩えて理解していますが、他にもよい例がある方は教えてください。



Ueda Lab (心理療法研究室)

とある大学で心理療法の研究と教育をしています。

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