陶芸サークル


 この1年、陶芸サークルに参加しました。

 きっかけは、次女が中学に入学したことでした。

 娘の通う中学校の父母会が主催している活動として陶芸サークルの案内があり、昨年の春に申し込んだのでした。


 娘は家ではおちゃらけているのですが、内弁慶なところがあって、中学校に上手くなじんでくれるだろうかと、少し心配をしていました。

 案の定、中学に行き始めてからしばらくは、毎日のように疲れたとか、部活が決まらないとか、友だちとなじめないとか、悩んでいるようでした。学校に行きたくないと言うこともありました。俗に言う中1ギャップというものでしょうか。

 そこで、「よし、そしたら父親である自分も娘の学校にちょっと関わって、少しでも娘との間に話題を作ってみよう」と思い立ちました。それで丁度案内があった陶芸サークルに申し込んだというわけです。

 自分も内弁慶で、人とのコミュニケーションに気疲れするほうだから、きっと陶芸サークルは知らない人ばかりで、そういうところに身を置けば娘の気持ちもわかるのじゃないかと。いや、本音を言えば、(娘が苦労していて、自分は上手く励ませないから、自分も同じように苦労してみよう。それが娘になんとなく伝わるといいな。)くらいの気持ちだったのです。


 普通に話を聞いてあげたり励ませばよいものを、変な方向に展開した、ゆがんだ親の愛情という…(笑)。




 さて、実際に陶芸サークルが始まってどうだったか。

 (予想はしていたのですが)参加者の皆さんはお母さん方ばかりで、思いっきりアウェーということになり、月に1回程度の活動なのですが、毎回冷や汗でぐったり疲れてしまいました。聞くと、これまで長く陶芸教室の活動が続いてきた中で初めての男性メンバーだったらしいです。(さらにすごく珍しいことに、その年は私ともう一人お父さんが入り、男性が2名でした)

 いずれにしても「娘と同じように、初めての場所と人間関係の中で緊張するということを、父親としても体験しよう」という目的は十分すぎるほど果たされたのでした…。


 そのうち、次女はあっさりと学校に適応してー(笑)。

 自分だけ毎月緊張して陶芸サークルに通うということが続きました。


 メンバーの方々はとてもよい方たちでした。先生も先輩方も丁寧に教えてくださって、すごくありがたかったです。校内の立派な陶芸教室やいろんな材料も使わせていただいて、集中して作っていると時間はあっという間でした。ただ人慣れしない自分が、初めての場所で、しかもほとんど周りが女性の方ばかりという場で、とにかく疲れてしまい(笑)。

 それはまあ仕方ないこととしてー。

 陶芸自体はやはり大変面白かったのです。


 平日の午後が活動なので、無職なのだろうとか、いやヒモだろうとか思われていたみたいですが(苦笑)、皆さん、優しく話しかけて下さいますし、また学校内のことなども情報を得ることができ、とても有意義でした。自分が作品を(不器用で全然上手くできないのですが)作っている時間は楽しく、他の方の素敵な作品を見ているだけでわくわくしました。あと思わぬよかったこととして、お父さん友だち(と言うのは失礼ですが)が一人できたこと。やはりその方も陶芸サークルに通われる動機は同じようなもので、娘さんの学校に何らか関わりたいという気持ちであったみたいでした。面白いものです。


 そんなこんなで、なんとか1年間続けることができました。とてもよい経験をさせていただきました。




 ところで。

 陶芸サークルの先生はよくおっしゃいますが、

 陶芸では同じ物は二度とできない。形だけでなく、釉薬や土の掛け合わせによって、色彩や質感は無限の可能性がある。そもそも土も釉薬もその時の状態で全然違う。さらに火を入れたらまた全然予想もできない物になる。と。


 最終的に、出来上がりは土と火という自然にお任せするものなのだということがよくわかりました。これは特に日本の陶芸の特徴だと思います。

 Jung C.G. が錬金術に関心をもっていたことをなんとなく思い起こしました。素材があり、融合して、変容が起こる。陶芸だと「成形」や「釉がけ」、そして「焼き」がそのプロセスに当たるでしょうか。心理療法と同じで、ある程度の狙いや操作はあるのですが、途中は自然の力を使うしかなく、その経過を経てできたもの、それを「完成」とはちがう意味で「完全」なものとして受け入れるということなのですね。


 不器用でも、緊張してもー。なんでもやってみるものですね。


Ueda Lab (心理療法研究室)

とある大学で心理療法の研究と教育をしています。

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