目について


 「目を白黒させる 」
 「目を三角にする」 

 「目は口ほどに物を言う」
 「目にものいわす」

 目についての言い回しやことわざは実に多様です。それだけ目が人のいろいろな状態を表現しうる部位であるということでしょう。 


 心理療法はまずは言葉で(つまりは口で)やり取りされるものですが、思いのほか目でもやり取りをしているように思われます。

 心理療法における「目」の役割の研究などしたら面白そうです。

 それはそれとして、私もよく人の目を見てしまいます。

 もともと人と目を合わせることが苦手な方だったのですが、新型コロナウイルスの対策で人々がマスクをつけるようになって、より目に注目するようになったように思います。

 (形という意味ではなくて)目が魅力的な人は印象に残っています。



 さて、目について考えた時にすぐ思い浮かぶことがあります。

 それは河合隼雄先生の目のことです。

 もちろん私は直接河合隼雄先生に教えを受けたわけではありません。数度ご一緒して、あるいは遠くから拝見する程度の者でしたが、河合先生は目がとても印象的な方だったと思います。

 河合先生の目について書かれたものは案外多くあります。
 曰く、「いつも優しい目をしていた」、「笑っていても目だけは笑っていなかった」、「(事例を聞いているときなどは)三白眼が怖かった」などなど。

 私の指導教官だった永田良昭先生は河合先生と同窓であったということで、「河合さんは人の話を聞いているときは寝ているようだったけど(実際寝ていたと思うけど)、大事なときはぱっと起きて、非常に的確なことを言っていて面白かった。」と言われていました(笑)。同じようなエピソードを他にも聞いた記憶があります。


 見れば見るほどますますわからなくなる。
 どこまでも深く優しいように見えるし、一歩入ると冷たいものがあるようにも見える。つかみどころがない「目」。
 怖いという人がいるかもしれませんが、私はそういう「目」をうらやましく思います。

 すぐに「あの人はああいう人だ、こういう人だ」と決めつける人がいます。その人のいないところで言う人がいます。そういう決めつけからできるだけ距離を置いていたい。言葉ではそのように思わせても、目だけはそれを否定している。河合先生のわかりやすいお話は、あの「目」があってこそだったのかもしれません。

 そう言えば(以前ブログでも書きましたが)、若かりし頃、お酒の席で酔っ払って、河合先生と肩を組んで写真を撮ってもらったことがありました(スミマセン)。その時、河合先生のお顔は笑っていましたが、たしかに目は笑っていなかったような…。(それはそうだよな、生意気な若者がいきなり肩を組んできたんだものな、迷惑だったろうな)と恥ずかしさとともに思い出して、その時に撮ってもらった写真をあらためて見直してみましたら、目も笑っているように見えました。ずいぶん時間が経ったので許していただいたのでしょうかー(苦笑)。


 目って不思議です。


Ueda Lab (心理療法研究室)

とある大学で心理療法の研究と教育をしています。

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