『心理療法の共通性を探る』_日本心理臨床学会参加記(2023年9月)
日本心理臨床学会第42回大会に参加してきました。
今年の学会はめずらしくお役目がいくつかありまして、他の人にも関係するので少し緊張しました(苦笑)。
一日目はシンポジウムに登壇しました。
『心理療法の共通性を探る』というテーマで、明星大の富田悠生先生と一緒に企画して開かせていただきました。
きっかけはこのブログの記事でした。
ちょうど今年度の学会テーマが「多様性」でしたので、「共通性」という切り口でそれを裏側から照射するようなことができればと考えてはみたのですが、もちろんそんなに簡単にいくはずもなくー(苦笑)。
昨今、心理療法は技法が発達し理論が細分化し、また医療なり福祉なりの領域固有性も強調され、全体として多様化の方向に進んでいます。それ自体はよいことでしょう。一つの分野の発展の方向として自然なことだと思います。
一方で、「理論や領域は違っても心理療法だったら同じだよね」(「同じ」なのが何なのか、が問題なわけですが苦笑)という感覚を共有することが難しくなっているような気もします。
特に最近この分野では、古くからあるものや大括りな理論は批判的に位置づけ直されています。他方、とにかく新しいもの、オーダーメイドなものが推奨されます。なんというか、まっとうで、勢いがあって、刺激的なことが起こっているような気にさせられます…。
ただし大きな器を作る努力を欠いたままでの、そういった流れは結局は分断を誘う力になるので、新しく見えるもの/多様に見えるものもいずれは単なる個別に終わるでしょう。それはもったいないような気がします。
相対化して差異を語るより、本当は共通性を語る方がずっと難しいはずです。
(しかし、それは地味ですし、保守的に見えて新しさがありませんので、人気も出なさそうですがー)
むろん「心理療法の共通性」というのは決して新しいテーマではないことも承知しています。
しかし、古いテーマだから答えが出ているものでも、簡単なものでもないはずです。
共通性といっても、単に基礎的な応答技法ということではないように思われます。それはケース理解の仕方なのかもしれませんし、職業倫理や人間観のようなものに求めることができるのかもしれません。あるいは「基礎的な」ものではなく、むしろ経験を積んだ後に得られる「発展的な」芸のようなものが似てくるということかもしれません。
いずれにしても、これまで暗黙裡に共有していたものが、さまざま理由で共有しづらくなっている。あるいは(もしかしたら)、すでに不要になっているのかもしれない。それはそれで仕方のないことかもしれませんが、とにもかくにも(ちょうど若手から中堅くらいの人たちの生の言葉から)探してみようじゃないかと。
当日は、精神分析の立場やJung派の立場から、また認知行動療法の立場や臨床動作法の立場から、「心理療法の共通性ってこういうものじゃないかな」と素朴な言葉で語っていただき、ディスカッションしました。今回あえて特定のオリエンテーションに親しんでいる若手中堅の先生方にお話をうかがいましたが、その方が一種の葛藤というか「共通性を見いだす難しさ」がありそうで、有意義なように思ったからです(実際シンポジストの皆さんは口をそろえて「難しかった」とおっしゃっていました(笑))。
もちろんまだ焦点が絞り切れていないところもあったでしょう、当たり前に聞こえたところもあったかもしれません。それでも共通性がないというわけでもなさそうだということは少なくとも確認できたように思います。同時に、当初想定していたものとは違う、なかなか面白い切り口がいくつもあったように思います。
もし聞いて下さった方がいらっしゃったら、どこかのタイミングで感想を聞かせていただけるとうれしいです。
三日目は研究発表の指定討論をお引き受けしました。
『小さなコミュニティで心理臨床実践を行うことの倫理的困難』
具体的な倫理的葛藤がテーマになっただけでなく、背景には、都市型心理療法に小さなコミュニティ内でなされる心理療法を対置するというテーマもあり、大変活発なディスカッションがなされました。もっと多くの方に聞いて欲しかった発表でした。
きっと論文化してくださると思います。
さて、実は学会はまだオンラインのものが残されているのですが、終わった後にお酒を飲みに行けなくてつまらないです(笑)。
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