「あいつ」はいなくならない
「あいつさえいなければすべて上手く行くのに」
僕もそうも思います(笑)。
「あいつ」というのは、特定の人物に限らず、集団や制度やそのほか諸々の条件を含んで広く考えることができます。
ほんと、「あいつ」さえいなければ上手く行くのに、今の自分はこんなものじゃなくて、もっと成功して、幸せになっているはずなのに、と。
だけど、たいていの場合、「あいつ」がいなくなると今度はまた別の「あいつ」が出てきて自分の邪魔をするのです。
ずっと同じことを言い続けているのです。
なぜかー。
これは、もし本当に「あいつ」がいなくなってしまうと、今上手くいかないのはすべて自分のせいになってしまうからです。それはとても受け入れられない。だから、私たちは常に「あいつ」を探しているのです。
これは本当で、周りを見たり、自分のこととして考えたらわかります。
「こんなに忙しくなかったら、もっとちゃんと成果が出せているのに」と(笑)。
もちろんこれをいわゆる心理学用語で説明することも可能です。否認だとか置き換えだとか、転移だとか投影性同一視だとか。
誤解のないように付け加えなければならないのは、それはその人の弱さだ、責任転嫁だ、とか、いや実際目の前の「あいつ」が悪いのだとか、そういうことを言いたいのでななくて、それはわれわれ人間の大事なこころの仕組みなのだということです。
そういう意味では、「あいつ」はいなくならない、のです。
そうは言っても、「あいつ」に付き合うのはもうやめたいと思うこともある。あまりに「あいつ」にとらわれるのも苦しいので。
心理療法というのは、「あいつ」を消し去るのではなく、「あいつ」と上手くやっていくことを考えてみようということかもしれません。
言い換えると、「あいつ」はいなくならないし(いなくなると困りますから)、かと言って「あいつ」にあまりに振り回されるのも苦しいので、逆に自分の中にある「あいつ」の言い分も少し聞いて、一緒にやっていけるか考えてみようというのが心理療法なのかもしれません。
とは言え、難しいことです・・・。「あいつ」がいなくなるほうが早いような、「あいつ」に向き合うのはとてもつらいような、やっぱりそういう気がするので。いやはや。
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