「言い訳」はありがたい


 新しい大学へ異動して、1ヶ月が経ちました。


 異動のバタバタに加えて、研究室を片付たり、いくつか書かなければならない文書があって、時間がいくらあっても足りないような感じでした(未だにそうですが−)。

 ブログも全く手をつけることができませんでした。


 つまり、忙しいから◯◯できない、というわけですね(笑)。




 私の場合、本務以外のことで忙しいというのと、体調のことで子どもに手がかかる、という二つの言い訳があります。

 私はそれが「言い訳」であることを承知していますが、その「言い訳」がまた大事であるとも思っています。


 みんな「これさえ手に入れば」とか「この問題さえなかったら」と思っているのですが、そして実際そういう状態になったら、さぞかし自分の力が発揮できるだろうと思うのですけど、私自身は、(本当は)そういう状態になっても自分はなかなか思ったようにはできないだろうと感じています。


 むしろ、もしその問題がなかったら困るのではないかと思います。

 できないことは、すべて自分の責任になってしまうわけですからー。


 だから、私なんか、雑務が忙しくて、子どもに手がかかって、本当にありがたいくらいです…(苦笑)。もし、それがなかったら、論文がたくさん書けないのは・優れた研究成果が上がらないのは、単に自分の能力不足ということが明らかになってしまうわけですからー。

 やれやれ。


 もう少し言うと、このような言い訳をしながら生きていることに、どこか誇りと言うか、自分らしさを感じてさえいるのです。問題がなかったら、私自身の能力不足が明らかになる(笑)以上に、なんと言うか、生きている実感のようなものが薄かったのではないかと。


「言い訳」に取り組んでいることが、僕の生き方を表しているのではないかと。





 これは、すぐに想像できるように、心理療法やカウンセリングの過程ととても類似しています。


 カウンセラーとして仕事をしてきてよくわかるのは、外から見て羨ましいと思われるような人でも、必ずその人なりの問題を抱えているということです。人というのは、一生懸命「言い訳」を探しながら生きているのではないかなと感じられるほどです。


 そして、先に述べたように、「言い訳」というのをまるっきり取り去ってしまうと、身も蓋もないわけですから、カウンセリングというのは「言い訳」を大事にしているのですね。

 「言い訳」を通して、その人がどう生きているのかを考えているのだと言えるのです。


 ただし、これも、問題の大きさとクライエントと呼ばれる人の力がどれくらいあるのかの「見立て」によることは言うまでもないでしょう。場合によっては、その問題を具体的に解決したり、取り除く必要があることもあります。


 それでも、やはり「言い訳」はその人の生き方を表しているのです。

 非常に大事なものだと思います。


 「言い訳」ができて、本当に僕は幸せ者です…(苦笑)。


Ueda Lab (心理療法研究室)

とある大学で心理療法の研究と教育をしています。

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