技法の問題か倫理の問題か_『カウンセリングを倫理的に考える』
このたび『カウンセリングを倫理的に考えるー迷い、決断することの理論と実践ー』(岩崎学術出版社)を出版しました。
前回は、「本を書く」という体験について、特に新しい文体にチャレンジすることの面白さについて書きました。
今回は、本書でカウンセリングの倫理についてどのように語っているかについて、少し触れてみたいと思います。
心理面接を仕事とするようになって、昔から「これって技法の問題なのかな、倫理的な問題じゃないのかな」と思うことがよくありました。例えば、カウンセリングをいつ終結するかというのは、実はよく考えると難しい問題です。主訴の解消という点から見れば技法や解釈の問題であると考えられますが、最初の主訴から問題が変わってくることはよくあり、また自己実現や自己理解という面から見ればカウンセリングには終わりがないと考えることも可能です。そうすると、いつ終わるかはある意味ではカウンセラーの倫理観が問われているのではないか、とか。
逆に「これって倫理的な問題と言われているけど、技法的に上手く返すと展開する局面だな」と感じることも多くありました。例えば、カウンセリングの開始に際してインフォームド・コンセントを得ることは倫理的な行為ですが、しかし、(単に訴えられないようにするために)事前に紙面でのこれこれのやりとりをしなさいという問題ではないはずです。事前にきちんと説明するということは、クライエントとの間に非常に大きな信頼感を醸成することになりますから、このやりとりは即治療的行為でもあるはず。
つまり「倫理は倫理、技法は技法」と割り切れないように思われるのです。
ちょうど公認心理師資格が立ち上がって、「公認心理師の職責」という科目も担当していたため、職業倫理教育の必要性は感じていましたが、倫理綱領を概観するような教科書的なものが書きたかったのではなく、上にあるような「倫理でもあり技法でもある」ような場面を描きたいという気持ちがありました。
なぜなら、倫理が問われるような場面は一種のクリティカル・インシデントで、そこを技法的に乗り越えればカウンセリングはよい展開を示すはずだからです。
また、倫理的葛藤場面は、必ずしも法令や倫理綱領で行動の適否を決定できるものではなく、むしろ「正当はないが、決断はある」場面がほとんどであると考えられます。そのような場面のふるまいこそ、「心理療法とは何か」をあらわすはずたからです。
本書ではそういった場面をたくさん取り上げ、カウンセラーが迷い、決断する様子を示して、そこから「心理療法とは何か」が自然と浮かび上がってくるといいなと思っていました。(これを言ったら絶対怒られるのですけど(苦笑)、本心は令和版の『カウンセリングの実際問題』を書いてみたかったのです!)
上手く書けたどうかはわかりません。
読者諸氏の忌憚のないご意見をお聞きしたいところです。
そしてー。
先日『こころの科学』(金剛出版)最新刊において、拙著の書評をいただきました。大変ありがたいことでした。
もしこのような問題に関心のある方がいらっしゃったら、お手に取っていただけると幸いです。
0コメント