寝かせること
以前に、障がいを抱えた子どもの子育ての中で「食べさせること」の難しさについて書きました。
難しさと言っても、特別なことではなく、親としての率直な思いやいくつかの工夫をまとめてみただけです。
今日は同じく「寝かせること」について、書いてみたいと思います。
これは、まずすべての子育てに共通する一般的な問題でもあると思います。程度の差こそあれ、赤ちゃんは夜泣きするものですし、それによって親の睡眠は壊滅的に分断されるのですが(苦笑)、皆それをなんとかくぐりぬけて来られているのだと思います。
僕の子どもも夜泣きはありました。次女のときは、夜泣きをすると、おんぶをしてマンションの周りをぐるぐると歩き回ったことを覚えています。
ただ、夜泣きはおおむね乳児の時の問題で、子どもが成長するにつれ、この問題はかなり軽くなるのが一般的でしょう。
しかし、障がいを抱えた子どもの場合、このような状態が長く続き、あるいは「寝かせること」に特別な工夫が必要であったりすることが多いように思います。
長女の場合も、この「寝かせること」についていろいろな面で苦労がありました。そして、これは障がいを抱えた子どもの子育てに多くの場合共通した課題でもあると思いますので、どなたかの参考になればと思い、その時の経験や対応をここに記したいと思います。
障がいを抱えた子どもの睡眠の問題に関しては、いくつかの側面があげられると思います。
一つは、「なかなか眠らない」ことです。
障がい(特に大きな病気)を抱えた子どもの子育ては、常に強い緊張を強いられるものです。私は、今でこそ、少し落ち着いて生活できていますが、まだ長女が大きな病気を繰り返していた頃は、子どもの顔色一つで一喜一憂したり、メールや電話でびくっとしたり、仕事に力が入らない自分にイライラしたりと、常に張りつめた状態でした。
ですから、子どもがすんなりと寝てくれると、すごくほっとしますし、唯一身体と心が休まる時間なのではないでしょうか。「眠らない」問題があるときは、その唯一の時間が得られないのですから、これは本当に精神的に参ってしまいます。
もう一つは、「夜中に何度も起きる」という問題でしょう。
これもなかなか辛いものがあります。
長女は9歳になりますが、つい最近まで、「夜中や早朝に起きる」という問題を抱えていました。夜中に長女の目が覚めてしまうと、次女まで起きてしまわないように、とりあえず部屋を変えてリビングにつれて行くのが僕の仕事でした。
まだ長女が小さい頃は、抱っこをして、狭い部屋の中をものすごく小幅なステップで(笑)ゆっくり行ったり来たりして寝かせていました。最近は、暗い中で歌を歌ったり(笑)、場合によってはビデオを見たりしながら、もう一度寝るのを待つといった具合です。
とにかく親である自分もフラフラですから、しっかり相手ができないときもあります(ありますよね)。その場合は、自分も休むほかありません。しかし、同時に、子どもが夜中に歩き回って怪我をしたりしないようにしなければなりません。僕の場合の解決策は、自分がリビングと廊下の境目に横になるということでした(笑)。これで、自分が寝てしまっても、トイレやお風呂など危険な場所へ子どもが行くのを防いでいました。
実は、このやり方はなかなか普遍的なやり方のようで、友人に聞いたところ、彼もまったく同じ方法をとっていて、廊下への出口をふさぐように寝ているということでした。
今書いてみて、なんだか不思議と他人事のようですが、当時は慢性的な睡眠不足と体の痛みで、「自分がどこまでもつだろう」と思いながら必死であったことを思い出します。
そのようなことを踏まえて、障がい児の子育てで同じような問題に悩んでいる方に伝えられる工夫があるとしたら、次の二つのことであろうと思います。
一つ目の工夫は、「子どもと一緒に寝る」ということです。当たり前のようですが、実は難しいのではないかと思われます。というのも、子どもが寝た後に、わずかでもやっと家の用事ができる、自分の仕事ができると思い、ついやってしまうのです。そのうちにまた子どもが起きて、結局眠れなくて、しんどくなってしまうのです。
ですので、家の用事や仕事はあきらめて(笑)、子どもが寝たときに自分も一緒に寝ることをお勧めしたいと思います。
もう一つは、あらかじめ誰が対応するか決めておくということです。私はどちらかというと、睡眠の問題にはなんとか対応できましたが(別の問題ではまったくダメでしたが)、妻の方はこの対応が苦手で、夜中の対応はもっぱら僕の仕事でした。
親が二人とも起きる必要はありません。交代でもいいですし、祖父母の力が借りられるときはお願いしてもよいと思います。
最後に、これは他の人には役に立たないかもしれませんが、自分にとって最も重要だったことを書きます。
こうやって「寝かせること」の難しさについて振り返りながら書いてきて、当時は本当に頭がおかしくなりそうなほど苦しかったはずなのですが、今では、それを少しよい思い出として思い出している自分がいます。
それはなぜかと言いますと、障がい児を育てるということについて、「自分が逃げなかった」と思い返せているのだと思います。これは僕にとってはとても大切なことでした。
僕は育児でほかに役に立つことがあまりできませんでしたから、せめて毎晩子どもに付き合って起きること、寝るまで抱っこして歩き回ることは、自分にできることの一つとしてうれしくさえありました。
そして、僕は弱い人間ですから、「自分が逃げてない、逃げてない」と言い聞かせ、確かめ続ける時間としても必要だったのです。
言い換えると、その夜中の試練(とは言いすぎかもしれませんが(笑))をありがたい課題だと思っていたのです。
静かで暗い部屋の中を、障がいをもった子どもを抱っこして「二人きり」うろうろするのは、(これは障がい児をもつ人には共感してもらえるのではないかと思うのですがー)苦しいながらも、自分がこの子を育てているんだという実感のある、なんとも言えない幸せな時間でもあるのです。
少し変わった見方かもしれませんが、障がいを抱えた子どもの子育てにおける「寝かせること」の問題は、そのようなとらえ方もできるのではないでしょうか。
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