阿留辺畿夜宇和
この言葉は明恵上人の言葉。
色紙は私の宝物。
もうずいぶん昔に、図々しくも河合隼雄先生にいただいたものです。
個人的なことですがー
とうとうこの言葉と向き合わなくてはならない時がやってきたようです。
最近は中年期の「停滞」をひしひしと感じています(苦笑)。
日々の雑務にも慣れ、多くの時間は割けていませんが臨床実践も続けられている中で、何か具体的な困難にぶつかっているというわけではありません。忙しくはありますが、できるだけバランスを崩さないように、目の前のできることをぼちぼちとやっています。
大きな変化のない時期と言ってよいかもしれません。穏やかな毎日を過ごせていると考えれば、ありがたいことなのかもしれない。
ただ何か行き詰まっていると感じるのも事実です。
恐れてはいませんが、視界が開けるまでには少し時間がかかりそうだなとも感じています。
自分のあり方をあらためて考えざるを得ない時期に入っているといった直感があるのです。
「阿留辺畿夜宇和(あるべきようわ)」
この言葉は、『栂尾明恵上人遺訓』の冒頭にある「人は阿留辺畿夜宇和と云七文字を持つべきなり」という法語から来ています。
これは「道徳や倫理を守ってきちんと生きなさい」という意味ではなく、「この時代にどのように生きることが自分の個性になるのか」ということを考え抜きなさいという意味だと解されます。Jung, C.G が「個性化 individualization」と表現としたものに近いでしょう。
少し横道に逸れますがー、
明恵上人が生きた鎌倉時代は、わが国の宗教のあり方が大きく変わった時代です。
この時期多くの僧が戒を守らず、堕落した生活をしていたことを明恵は許せず、山へ籠もり自らはしっかり戒を守って修行を続けていきます。そのような生き方が知られ、明恵は当時多くの人びとの尊敬を集める僧になりました。
一方、同時期に生きた僧として親鸞も有名です。親鸞は親鸞で、宗教をもっと人間的なものにしたいと望み、そこから戒を盲目的に守ることが宗教の実質ではないと考えたようです。その結果、僧でありつつ肉食妻帯に至ったとされますが、それもまた大きな意味をもつ動きであったかもしれません。
言うまでもなく、明恵は単に戒を守ればよいと考えていたわけではなく、親鸞も単に戒など不要と考えたのではなく、両者ともそこに大きな葛藤があったはずです。互いに真の救いとは何かを考え抜いてのことだったのではないでしょうか。いずれにしても、両者の生き方には大きな違いがあり、明恵は戒を守ることを選んだということです。それは本当にすごいことだと思います。
「あるべきようわ」はそのような明恵の生き方全体を貫く、もっとも大切な言葉です。
したがって、「あるべきようわ」を決して「清く正しく」とか「自分らしく」といった手軽な表現に落としてはならないと思われます。
私は先般心理臨床の職業倫理に関する本などえらそうに書いて、何かわかったかのようになっていますが、全く違って、心理臨床の仕事についてはいまだにわからないことばかりです。
また、自分自身の私生活を振り返っても、これも例えば子育てとてさほど上手くやれているわけではありません。大人の更年期と子どもの思春期は不思議に一致すると言われますが、その通りのような感じです(苦笑)。
すなわち、何か大きな失敗はせずにやれているようで、ここにきて大事なものを見失いつつあることに気がつき始めたのです。
病気をしたりそういうのではないけれど、自分が非常にピンチな状況にあることをひしひしと感じる。放っておくとおそらく取り返しのつかないところまで崩れてしまうような気がする。
時間はかかっても、この中年期に自分の「あるべきようわ」を正しく追求しなければならないと思います。
どうしていったらよいかは、まだわからないのですが・・・。
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