千本北大路の交差点

 何から書いたらよいか迷いましたが、ささいなことだけれど心に引っかかっていることから書いてみようと思います。ずっと心に引っかかっているささいな出来事というのは、心理療法という営みを考える際に、一つの切り口になるようにも感じます。


 もう10年ほど前になりますが、僕は京都でカウンセラーの仕事をしていました。京都に住み始めた当時は仕事についてもいろいろと希望に燃えていた時期で、また京都という町の面白さも相まって、充実した日々を過ごしていました。しかし、間もなく個人的に非常に大きな困難にぶつかって気持ちの余裕がなくなり、むしろ鬱々とした毎日を過ごすようになっていました。


 その頃僕は紫野という京都の北の方に住んでいて、そこから坂道を下るような感じで歩いて職場へ通っていました。その途中には千本通りと北大路通りがぶつかる千本北大路という交差点があり、その日もその交差点を渡るために信号を待っていました。大きな交差点ですが、普段から人は少なく、その時も僕だけであったように思います。空は真っ青で雲一つなく、空気は澄んでいました。


 その時、どん!と僕の背中にぶつかってくる人がありました。当時僕は個人的に抱えた問題で頭がいっぱいになっていて、むしろ気持ちが荒んでいると言った方がよい状態でしたので、人の少ない交差点で自分にぶつかってきたことに対して、すぐに腹を立てました。もし、相手が何か文句を言ってこようものなら、振り向きざまにけんかになりそうなほどでした。


 しかし、振り向こうとしたときに聞こえたのは、「すみません」という小さな声でした。見ると小学校4年生くらいの目の不自由な女の子が僕のすぐ後ろに立っていました。きっと彼女はすぐ近くの施設に向かう途中であり、むしろ僕の方が点字ブロックの上に立っていて、彼女の邪魔をしていたのでした。僕もとっさに「すみません」と返すことしかできませんでしたが、その時の彼女のけなげな雰囲気、町の澄み渡った空気、自分の荒んだ気持ちなどがひとつのかたまりとなって、心が締め付けられるような気持ちがしました。


 10年以上前の、ささいな出来事ですが、いまだにその情景をよく思い出します。解釈できるようなものはありませんが、そのときの感覚というのはその後の自分の心理療法に何かしら影響を与え続けているような気がします。


 心理療法家のベテランの方にも、そのような経験はよくあるものなんでしょうか。聞いてみたいような気がします。


Ueda Lab (心理療法研究室)

とある大学で心理療法の研究と教育をしています。

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