『人間の学としての倫理学』
今、カウンセリングの倫理に関する本を書いています。お話をいただいてからずいぶんと時間が経ってしまいましたが、ようやく形が見えるところまで来ました。
前の本(『「見る」意識と「眺める」意識』(創元社))が、井筒俊彦の『意識と本質』一冊で書いた本だとすれば、今回書いている本は、和辻哲郎の『人間の学としての倫理学』一冊をもとにして書いたと言ってよいと思います。
臨床心理学の本を書くのにそんな哲学や倫理学の本一冊をベースにして書くことがあるのか、といぶかしがられる向きもあるかもしれませんが、どうも自分の場合そのような書き方になりがちで、関連する領域の論文や有名な専門書は本の幹と言うよりそこから出る枝葉程度の位置づけになってしまいます。
本って、そういう書き方もあるのかもしれない。と自分をなぐさめつつ書いています。
『人間の学としての倫理学』は、遙か昔、私が大学の教養科目として受けていた倫理学の教科書として買ったもので、まだ家の本棚にあったものです。
当時は倫理について何もわかりませんでした。これが名著だということも知りませんでした。
授業はただ先生が教卓の前に座って、延々と(ぼそぼそと)お話しされているだけでしたが(スミマセン・・・)、その風景はよい意味で印象に残っています。大学に入ったばかりで、「ああ、大学の授業を受けているなあ」と思ったことを覚えています。ただ、それだけでした。
今の本を書き始めて、本棚に残っていることに気がつき、読み直したという体たらくです。
いずれにしても、今、カウンセリングの倫理にかかる本を執筆するにあたって読み直して、「ああ、こういうことが書いてあったのか」とようやくわかった気がします。
前回は『意識と本質』一冊をもとにして書いたと言いましたが、読み解くのにサポートしてもらった本があって、それが若松英輔さんの『井筒俊彦−叡智の哲学』でした。今回それに当たる本は、宮野真生子さんの『出逢いのあわい』という本になりました。そうした本がないと、1冊とはいえ読み解けなかったかもしれません。
しかし、不思議だなあ、と思います。その本を使った先生のお名前も本の中身も何ひとつ覚えていないけれど(ほんとにスミマセン・・・)、何十年も経って読み直して、しかもそれをベースに本を書くことになるとは思いもしませんでした。
まあ結果として他にはないタイプの本になりそうなので、それもいいのではないかなと思っています。
本というのはいつ役に立つかわかりませんね。
ということで、今書いている本も、無事に書き上がったら多く人に読んでもらえたらなと思っています(笑)。
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