T先生のこと


 今日は、「ある先生」のお話を書いてみたいと思います。


 私にはありがたいことにお世話になった先生がいて、(大学の先生に限らず)師とあおぐ先生もいるのですが、その先生とは多くの時間を一緒に過ごしたわけでも、特別親しくさせていただいたわけでもありません。ただ遠くから見て大変立派だなあと感じる先生でした。そのような方はあまりいないので、忘れないうちに書き留めておきたいと思います。




 私は現所属の前に、地方にある国立の教育大学に所属していました。

 そこでお会いしたのがT先生でした。

 T先生は特別支援教育を専門に研究されていて、のちに同じコースに所属することになりましたが、私が着任したときには理事・副学長という肩書きで大学の経営にあたっていて、実質的にお会いすることはありませんでした。教授会でお見かけする程度で、大学の組織で言うとほとんど雲の上の人という感じでした。


 学長や理事など大学経営者には、華やかだったり、押しが強かったり、いわゆるけれんみのある人が多いわけですが、遠くから見たT先生は少し違っていました。

 むしろ飾り気なく、淡々と、現実的に、動いておられてる様子でした。

 一方で、文科省との交渉を一手に引き受けてこられた実力者でもありました。後で聞いたところによると、行政に出さなければならないさまざまな文書も事務方に投げて作成させるのではなく、自らすべて書かれるという徹底ぶりだったということでした。


 いずれにしても見た目はちょっとぶっきらぼうな感じがあるのですが、裏表がなく、誰に対しても平等に接することのできる先生でした。それは、事務の方や年下の研究者に対する態度を見ているとよくわかりました。


 その後T先生は学長選に出馬され、決選投票までいったのですが、惜しくも敗れました。しかし、他の立候補者が研究室まで来て他の候補者についてあれこれ言ったり、自分への投票を迫ったりする中、ほとんど選挙活動らしいことをせずに決選投票までいったのですから、いかに人望があったのかがわかります。

 「負けは負け。僕はそういう活動しなかったからなあー」と。

 それであっさり一教員に戻ってこられた。それが私のいたコースでした。




 そこからT先生とよくお話しさせていただくようになりました。


 私のいたコースは小ぶりなコースでしたので、毎年春にはゼミ対抗のボーリング大会をおこなっていました。そこでこれまで決して見せなかったであったろう、はしゃいだ先生の姿を見ることができました。きっと学生を教育するところに戻ってこられてうれしかったんだと思います。元理事の先生であるにもかかわらず学生にもフランクに接し、人気がありました。

 私はわりとT先生に気に入ってもらえたようで、その頃から研究のことに加え、大学運営のいろいろな実情(裏話?)も聞かせてもらい、勉強になりました。


 大学にいると、裏で(根回しという名の)情報戦のようなことをやってみたり、根も葉もないことを吹き込んで来る人がいたり、くだらないひがみから陰に回って足を引っ張るような人がいますが、ほとほとうんざりします。

 T先生はそういうところをくぐり抜けてきた歴戦の勇ですが、お話の中に私情は交えず、本当に大学が良くなるようにと、それだけを考えておられた様子でした。


 先生の態度を貫いていたのは、「研究者である」ということだったと思います。


 T先生は大学経営にたずさわっていたので、長い間多忙を極めていたはずですが、毎年誰よりも多くの論文を書いていました。これには舌を巻きました。

 さらに、会うたびに「まだ未熟だ」「もっと勉強しなければ」とよく言われていました。


 大学には教育・研究だけでなく、運営に関わるさまざまな実務があります。それらが膨大で、むしろ軸である教育・研究を圧迫しているのが実情です。T先生がすごいのは、コースに戻ってこられてすぐに、「若い人に多くの実務を任せたらかわいそう。それはわれわれが引き受けるから、若い人は思いきり研究して、業績を積んで欲しい。」とおっしゃったことです。なかなか言えることではありません。現実はむしろ若い人に実務が押しつけられがちではないかと思います。

 こういった言動も、何より「研究」を第一に考えておられるからなんだろうなと思いました。


 あるお酒の席で、実はT先生のご家族が大きな病気をされていて、仕事でなかなか一緒にいてあげらなかったことを後悔しているという話を聞いて、そのとき初めて涙ぐまれたのを覚えています。

 それ以外にプライベートなことは一切語られませんでした。


 なんというか、文句の少ない、仕事の早い、そして深い愛情のある先生でした。

 党派党略に巻き込まれず、学生や所属教員にとってよいことをきちんと主張できる人でした。


 私はT先生から大学人として生きることを学びました。


 公私ともに辛いことが多い時期だったのですが、こういう先生がいるのなら自分も仕事をがんばろうと思えたものでした。


 コースに戻ってこられて2年後にT先生が定年で退職されたときに、私はT先生のゼミ生を引き受けて、卒業論文を指導しました。

 ただT先生が退職されてから、私もなにかポキッと折れてしまったというか、初めて大学を移ることを考えました。そのことをさりげなく相談したとき、その大学で副学長まで勤められた先生ですが「異動に関しては先生が希望し、また周囲から望まれて働ける場所がベストです。」と温かく背中を押して下さいました。


 その後もメールをやり取りさせていただいて、「定年退職して思うことは、40代、50代にがむしゃらに学問を追究すべきだったことです。恥ずかしい限りですが、今、何とか取り戻したいと思って再学習をしています。」とまだおっしゃっていて、真の研究者なのだなとあらためて頭の下がる思いがしました。T先生の研究量でがむしゃらでなかったのなら、私なんて何もしていないみたいなものです(苦笑)。


 私は遠くから見ているばかりの、短いお付き合いでしたが、本当に尊敬できる数少ない先生でした。

 自分もいつかはそういう先生になれるといいなと思います。


(T先生と:卒業記念パーティーにて)

Ueda Lab (心理療法研究室)

とある大学で心理療法の研究と教育をしています。

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