大学とはゼミである(2)

 「大学とはゼミである」


 茂木健一郎さんがTwitterか何かで言われていた言葉だったと記憶していますが、出典が正確に思い出せずすみません。

 以前にも同じような記事を書いたことがあるのですが、これはその通りだと思います。


 ゼミというのは、狭い意味でいえば卒業論文(修士論文)に向けた研究をおこなうための演習形式の授業を意味していますが、私は二つの点で重要だと考えています。

 一つは、与えられた問いではなく自分自身の問いを追求できること、もう一つは研究の結果ではなく研究の仕方(形式)を身につけることができることです。

 昨今「アクティブラーニングだ」「反転授業だ」と盛んに言われていますが、ゼミをしっかりやれば、ほとんど十分ではないかと思います。ゼミの学びの中に、知識から、方法論から、批判的思考から、ディスカッション、グループワーク、プレゼンテーションまですべてが含まれています。

 ゼミで身につくのは、そういった「学びの全体」、すなわち「ものの見方」「考え方」ではないかと思います。


 私も、問題の見つけ方や論証の仕方から文体まで、いまだに大学時代に指導を受けた先生の影響を受け続けています。




 3月にゼミの卒業生を送り出し、この4月にまた新しいゼミが始まります。


 先日、学部も含め6年間一緒に過ごした院生さんが卒業しました。

 卒業式の日に、彼が渡ししたいものがあると研究室をおとずれました。そんなのいいんだけど、絵本を選んだからと。



 左の「ルリユールおじさん」は私をイメージしたもので、右の「きりのなかのはりねずみ」は彼がゼミを通して体験したものに近いからと。


 「わたしも魔法の手をもてただろうか。」

 (ルリユールおじさん)


 もてたのかなあ、きっとまだまだなのだと思います。


 そんなことを考えていたとき、昔のゼミの卒業生から結婚するという報告がありました。

 最近でもっともうれしい報告でした。


 「大学とはゼミである」

 (学生さんだけでなく、大学教員にとっても)言い得て妙です。



Ueda Lab (心理療法研究室)

とある大学で心理療法の研究と教育をしています。

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