思った通りに結果が出ないとき


 先日、今の大学で初めての大学院生の研究発表会に参加しました。

 

 今回はM1(博士前期課程1年生)の発表でした。具体的には、彼らが卒業論文で研究したことをまとめて発表し、ほかの大学院生や教員などから意見をもらうというものです。

 このような授業は、内容もさることながら、いわゆる学会発表に形式を倣っているので、プレゼンテーションの技術も磨かれることでしょう。


 実際は、まず発表者が10分程度で研究の要点を(スライドを利用したりして)発表し、その後、コメントをもらうというものです。前所属の大学とシステムは一緒ですが、本学ではフロアの大学院生にも積極的に意見を求めているところが素晴らしいと感じました。


 研究発表ですから、多様な意見が自由に交換されることが望ましく、逆に、「発表して」→「教員から一方的に評価のコメントをもらって」→「お説ごもっともです」では、もったいないでしょう。



 この研究発表で、少し気になる傾向がありました。


 それは、「思った通りの結果が出なかった」ときの対応です。厳密に言うと、「仮説とは異なる結果についての解釈」の問題です。


 仮説で想定した通りに結果が出なかったとき、大きく二つの理解の方向があると思います。


 一つは、「本当は仮説通りに出るはずなんだけど、ある限界のせいで出なかった」という理解の方向です。多くは、被験者の少なさや年齢・性別の偏り、あるいは質問紙の項目が適切でなかったことなどを理由とし、本来仮説通りに出るべきだったのだけど出なかった、というわけです。


 もう一つは、「そもそも仮説が間違ってました」という理解の方向です。細かい条件を考慮せずに非常に大雑把な仮説を立ててしまったので、そりゃあ出ないですよね、というわけです。


 個人的には、後者の解釈の方が妥当であるような研究が多いように感じるのですが、学生さんは圧倒的に前者の解釈が多いのです。これは前の大学も同じ傾向がありました。 


   当時からとても気になっていました。

 なぜなんでしょうか。


 もちろん本当に良い仮説であって、ある限界のせいで結果が出なかった研究もありますが、多くの場合、限界のせいなのか、仮説そのものの間違いのせいなのかは、はっきりしないことが多いと思います。


 その場合の態度として、前者の方が(古い枠組みにとどまっているので)無難ですけど、解釈が小ぶりなんです。皆の研究テーマはフレッシュで、方法もユニークであるのに、結果の解釈がそれでは、ややもったいないように感じるのです。


 「よく考えたら仮説が間違ってました(ずいぶん荒っぽい仮説を立てていた)」と、思い切って考え直してみる方が、解釈のスケールは大きいし、次の研究に繋がることが多いと感じます。


 どちらの態度がより「新しいことを明らかにしているか」を考えてみれば、それは明白です。



 「仮説通りに出ませんでした」

 「そもそも仮説が間違っていました」


 ということが、いけないこと、恥ずかしいこと、だと感じている学生さんがいたら、そのことだけは違うと注意しておきたいと思います。

   

  「仮説通りに出ませんでした」

  「そもそも仮説が間違っていました」


   ということは、なんら恥ずかしいことではありません。


   結果が仮説通りに出なかったことは、研究という行為の性質上、仕方のないことです。卒業論文でも修士論文でも、仮説通りに結果が出たかどうかを評価の基準にはしていません。仮説通りに出ることが重要なら、皆わかりきった調査をするだけのことでしょうから。

 

 何より、仮説通りに出る「べき」なら、そもそも研究をする必要はないわけです。


 仮説通りに出なかった時の態度こそ、重要なのではないでしょうか。


 もし、「何かを明らかにすること」より「あらかじめ設定された正解に至ってみせることが重要である」と信じられているとすれば、それは教育ということを一から考え直さなければならないほど深刻な事態だという気がします。





  「思った通りの結果が出ないこと」は、研究に限らず、われわれの人生でも起こっていることです。

 そうですよね…。

   私は最近、これを痛感していますー(苦笑)。

 結構辛いものがありますー。


   そのときに、できるだけ柔軟に考え、次の出口につなげたい。そのためには、研究と同じように、前提から疑ってみて、間違っていたと感じられたら、ためらわずそれを認めてしまったほうがよいように思います。

 そこに、もう一つ大きな、あるいは良い意味で複雑な前提に気がつく可能性があるような気がします。


 「思い通りの結果が出ないこと」を、失敗というより発見ととらえたい。


   それが人生へ向かう態度として、わりと妥当な態度なのではないかと、この頃よく思います。


 (昨今世に溢れる「◯◯改革」などというものを見ていると)頑なに前提を変えず執拗に続けてかえって苦しんでいる人が多いように見えるからこそ(苦笑)、若い人にはできるだけ柔軟になって欲しい。


   研究発表の話題から少しそれましたが、今回考えたことでした。



Ueda Lab (心理療法研究室)

とある大学で心理療法の研究と教育をしています。

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