研修会参加記(2022年3月)
秋田県立大学で開かれた学生相談関係の研修会に呼んでいただき、参加してきました。
昔からの友人の依頼ですから、一も二もなく(笑)。秋田に行ってみたかったのでよい機会でした。
現代の大学はいろんな意味で苦境に立っています。
知っている人は知っているわけですが、今の学生は非常にまじめです。厳格なカリキュラムや就職へのプレッシャーの元、勉学やアルバイトに一昔前とは比べものにならないほど忙しく生活しています。決してのんびりとしたモラトリアムの時期ではありません。一方、大学教員も教育研究だけでなく、学内諸業務の多忙化や度重なる大学改革、そこに研究費や人員の削減が重なったりと、同じく息つく間もないほどで疲れ果てています。
しかも、このコロナ禍です。
学生も教職員もなかなか大変な時代を生きているのです。
その中でより丁寧な学生対応のために学ぼうという研修ですから、自分にできることはさせていただこうと。
私にできることは、臨床心理学的な観点から「聞くこと」の中にある治癒的な力について説明する程度のことですが、とてもよく理解してくださった感じがありました。
学生、教員共に忙しい中で、ともすれば話を聞くことは問題解決のための手段と位置づけられがちですが、話を聞くこと自体を目的と位置づけられるようなシフトチェンジが求められているのでしょう。それは一見きれい事のように聞こえるかもしれませんが、「本当に」しっかりと聞くことができれば、聞かれた相手が変わっていかざるを得ないほどの力をもつものです。「聞くこと」の中にあるそのような強い力をもう一度確認していただくことだけでも意味があったのではないかと思います。
その後のディスカッションも活発な話し合いができました。
特に先生方から共通して出た話題として、最近の学生が「わかりやすい答えを求めてくることが多くなった」「わからないことや葛藤を抱えておく力が弱くなっている」ように見えるということでした。そして、「そのような場合、<聞く>だけでよいのか」「学生へのもっと積極的なアプローチが必要ではないか」という問いでした。これはその通りであると同時に、そのように問わざるを得ないわれわれもまた、「抱えておく力」が弱くなっていることを示してもいるのだと思われます。
何より、このように現代人をしてあらしめている真の問題はなんだろうかと考え込まざるを得ないのでした。
いずれにしても先生方が現代学生の抱えている困難をよく理解されていること、実に粘り強く、丁寧に、個別の学生のサポートをされていることが伝わってきて、頭の下がる思いをしました。
研修を終えて、いろいろ考え直すことがありました。
自分もかつて関西のある大学で学生相談の専任として業務にあたっていました。クリニックや福祉施設などさまざまな領域で仕事をしてきましたが、治療的面接という面から見ると、もっともやりがいのある仕事であったと思い出しています。
というのも、学生年代の人たちはピュアな(ある意味では実存的な)問題意識をもち、同時にそれを十分言語化できる年齢でもあるため、いわゆる治療的面接が有効に働く場であったためだと思います。加えて、若い人たちは(もちろん今は社会人経験を経て大学に入学される方もおり、それも非常によいことだと思います)4年間の中で自然に成長し、問題を乗り越え変わっていくので、それを間近で見ることができたのも大きかったと思います。心理療法は相手を変えようとするものではなく、あくまでその人の「内的な力」が展開することを助けるだけなのだ、ということを信じることができる仕事でもあったのです。
しかし、最近そのようなことを忘れがちになっている自分がいました。
今回研修に参加して、自身も今大学教員として勤務している中でしっかり学生の声に耳をかたむけられているだろうか(いや、それほどできていないな)と振り返らざるを得ませんでした…。
大変勉強になり、ありがたいことでした。
おみやげはやっぱり、、、ですよね(笑)。
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