『カウンセリングを倫理的に考えるー迷い、決断することの理論と実践ー』
このたび2冊目の単著となる『カウンセリングを倫理的に考えるー迷い、決断することの理論と実践ー』を刊行することができました。
倫理について何かを語れるような生き方はまったくしてこなかったのですが(苦笑)、さまざまな偶然と必然の導くところ、カウンセリングにおける倫理の問題について自分なりの考えをまとめる機会をいただけて、とてもうれしく思っています。
はじめは論文や研究書ならまだしも、自分にこのタイプの一般書が書けるだろうか怪しむところもありました。実際書き始めても、テーマがテーマですからすんなりと行かず、何度も行き詰まりました。そのたび編者者の方に乗せられて、そのうち思い上がって、自分が書くべきテーマなんじゃないか、自分なら他にない、大事な何かが書けるんじゃないか、そう思うようになって書き進めることが出来ました。恥ずかしいことです。
カウンセリングの倫理について本書でどのように語っているかは、また後日ブログに書いてみようと思いますが、今回は、執筆に苦戦したことを踏まえ、「本を書く」という体験について考えてみました。
私の場合は、博士論文を元とした1冊目の単著で自分の書きたいこと、大切なことは全部書いてしまった感じがしました。もう書けないような気がしました。博士論文は必死にならざるを得なかったので、燃え尽きたようなものだったのかもしれません。
ただありがたいことに、数年前にカウンセリングの倫理にかかる本を書かないかと、ある編集者の方からお話をいただきました。
自分の中に1冊の本を書けるようなテーマは残されていないように思われるのに、いざテーマをいただくと、もしかしたらあれもこれもつなげて書けるかもしれない、この角度から書けば新しい広がりが出るかもしれない、などと思うのが不思議です。自分が意識してきたテーマだけでなく、外から与えられて発掘されるテーマで書くこともあるのだなということは面白い発見でした。
私の場合、本でも論文でも同じテーマのものを繰り返し書くことはほとんどありません。書かないというより、書けないと言った方が正確かもしれません。逆に、何か自分もまだよくわかっていないこと、自分にとっての新しいチャレンジのようなものであると、(まったく自信はないのに)面白そうだと感じて書き始められるところがあります。
そういう意味でも、今回新しいテーマを与えられたことは(倫理というテーマはちょっと難しすぎましたが(笑))ありがたいことでした。
村上春樹さんが川上未映子さんとの対談で、次のようなことを語っています(『みみずくは黄昏に飛び立つ』)。
「物語を書くとき、常に新しいテーマがないと書けないということはないか」と川上さんが聞くと、村上さんは「必ずしもそういうことはなく、むしろ文章が常にアップデートされていれば大丈夫だ」と言います。大事なのは自分の中からテーマを引き出すための文章や文体であって、文章や文体が新しくなっていけば本は書き続けられるというようなことを言っていて、なるほどと思いました。
「テーマは向こうからやってくるので、しっかり引き出しを作っておいて、レシーブするだけ」でいいのだと。
前もって自分の中にテーマが見えているのではなく、書くことでそのテーマがはっきりしてくるのだ。あるいは、深いところからテーマを引き出すことが出来るようにツールとしての文章や文体を磨くことがするべきことなのだ、ということなのですね。
先にも書いたように、本書は、「カウンセリングにおける倫理」というテーマそれ自体が私にとって新しいものだったのですが、同時に、文体でも新しいチャレンジができたのはとても有意義でした。
どういうことかと言いますと、今回の本は全てを敬体(いわゆる、「ですます調」)で通して書きました。これまで論文や著書はすべて常体で書いてきたので、これは自分の文体について初めてのチャレンジになりました。敬体で「倫理」という重い課題を書けるだろうか、長い論を書き通せるだろうか、と不安でした。実際非常に手こずりましたが、やってみるとそれは面白い作業でもありました。
なんとか書き通して、「ああ、長い文章でも敬体で書けるのだな」とわかって、自分にとっての自信にもなりました。
敬体で書いてみると、堅苦しくなりがちな「倫理」の問題を表現するのにはかえって敬体にメリットがあったように思います。
またカウンセリングの倫理の問題は、すでにお気づきのように、(例えば守秘義務がありながら、それを越えざるをえない例外もあることなど)一義的な正解が与えられにくいものですので、断定的になるより迷いながら書き進めることになりました。その迷いを表現するのにも、常体より敬体の方が適していたように思います。
倫理の問題について敬体で書く、という新しいチャレンジに取り組んだことで、(ずいぶん時間がかかりましたが)結局「迷い、決断することの理論と実践」という副題としてテーマが収斂してきたのだと思います。面白いことでした。
カウンセリングにおける倫理の問題に対して、右に左に揺れながら、曖昧になったり迷ったりしながら、書いているようなところがありますが、もし興味にある方はぜひ手に取って読んでいただけるとうれしいです。と最後に宣伝(笑)。
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