サイン論再考
心理支援にも予防という考え方があります。
これまでカウンセラーと呼ばれる人たちは、メンタルヘルスに不調を来たした人を目の前にしてはじめてその技術を使う、いわゆる「待ち」の姿勢だったわけですが、そもそも多くの人がメンタルヘルスに不調を来さないようにすればよいではないかという考え方です。もっともなことです。これからのカウンセラーは治療的面接だけでなく、予防の面でも機能することを求められていると言ってもよいでしょう。
そのような流れの中で、近年、教育領域で働く心理職、例えばスクールカウンセラーにもっとも<具体的に>要請されているのは、子どもの自死の未然防止です。私がスクールカウンセラーとして働いていたときも、子どもの自死に関する未然防止がもっとも重要な取り組みとして繰り返し検討されていました。
そして、そのときによくテーマになるのが「子どもが出すサインを見逃さないようにしよう」というものです。
今回はこの「サイン論」についてもう一度考えてみたいと思います。
さて、この「サイン論」自体はたいへんもっともなことに見えます。
私がスクールカウンセラーとして勤務していた県でも、この「サイン論」にもとづいて心理教育や啓発活動がさかんにおこなわれていました。
中身は、
・落ち込んでいる様子やいつもと違った様子がないか、気をつけて見てあげて
・もし、そのような様子があれば、声をかけてあげて
・その人が話し始めたら、聞いてあげて
・その後、適切なところにつないであげて
というものです。上記のような内容を、例えばパンフレットのような形にして子どもや保護者に配るなどして、重大事案の未然予防につなげようとしています。表現は多少違えども、おそらく皆さんも同じようなものをどこかで見たことがあるのではないでしょうか。
さらに上記のような「サイン論」にもとづいて、学校現場においてパンフレット配布と共にさかんになされているのがアンケート調査です。
事案の重大性から自死の未然防止が注目されるのは当然ですが、学校現場ではいじめや不登校の問題も「予防」という観点が重要なのは言を俟たないので、また原則は共通しているので、自然と同じようなものが繰り返し周知されることになります。
さて、ここまでをふまえて、一般に流布している「サイン論」には課題があるように思われます。
すなわち、上記のようなことはおそらく多くの人が(あらためて言われなくても)理解していることで、かつよく目に触れるようになってもいるのに、それでも痛ましい事案が減らないのはなぜか、ということです。私が印象的だったのは、少し前のことですが、非常に痛ましい子どもの自死の事案が起こり、そのことを取材した新聞記事に、関係者の言葉として「『しっかり対策を進めていた学校だった』『他にどのような対策があるのか…』と悲痛な声で語った」と書かれていたのです。当時私も頭を抱えてしまいました。「サイン論」自体は正しいことだとしても、子どもの心理を把握すること(つまり、サインをキャッチすること)は、たしかにおそろしく難しいことだと感じていたのです。
この課題を少し違う角度から考えてみます。
子どもからサインが出ていて、周囲がそれに気がつかないというのは、実はちょっと考えられないのです。サインが出ているのにそれに気がつかないというのは、この場合論外と言ってもよいでしょう。
サインは、出ていれば見逃さないのです。
問題は「サインを出さない」ことがあるということなのです。現場で頭を痛めているのはこのことです。しかし、「サイン論」のほとんどは「サインを見逃さないように」ということですから、これでは当然効果が上がらない。繰り返しますが、サインが出ていれば、普通の人はキャッチできるのです。
そして、サインが出せるかどうかは、一般的な方法があるわけではなく、「その目の前の人との関係」によります。
すなわち、考えなければならないテーマは「サインが出せるような(個別の/日頃の)関係作り」をどのようにするかなのです。そのような個別の問題を捨象して、「サインに気がつけ」と言ってもなかなか効果が上がらないのは当然でしょう。
そして、この「個別の関係作り」に光を当てられるのが、心理職なのだと思います。
「アンケートを取れば辛い子どものサインがキャッチできる」、「辛い子どもはサインを出しているはずだから気をつけて見ていれば必ずそれをキャッチできる」というのは、子どもの相談に乗ることのある人間であればちょっとナイーブに過ぎると感じるのではないでしょうか。
われわれは、標語を作って安心するという悪癖から抜け出さなければなりません。
心理職が役に立てるのは、「こういうことが子どもの出すサインです」「だからサインを見逃さないようにしよう」と(実はみんな知っていることを)あらたまって伝えることではなく、「その子が信頼してサインを出せる人は誰か、その子にサインを出してもらえるようになるため日頃どのように関わっていけばよいか」をともに考えることでしょう。
例えば学校では、そのような観点からスクールカウンセラーを活用してもらうとよいのかもしれません。
今回は、世間に浸透しているように見える「サイン論」を(心理職から見ると現状のままでは少し不十分なのではないかという観点から)再考してみました。
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